カテゴリ:国際政治
第一次世界大戦(22)
無制限潜水艦作戦 総力戦の持続は、当然ながらドイツ・オーストリアグループとロシアの戦争継続にとって、次第に大きく響いてきます。 物資の不足が、軍需物資の生産にも響いてきますし、食糧や生活物資の不足は国民生活を直撃し、国民の間には、次第に厭戦気分が広がって来たからです。 ドイツ軍部は、英仏による海上封鎖こそがドイツの物資不足の原因であるからと、ようやく完成した潜水艦を使って、通商破壊作戦を実行に移しました。1915年5月のことでした。この月、早くもアメリカ人の乗客100名以上を乗せたイギリス船ルシタニア号が、ドイツ潜水艦の攻撃を受けて撃沈されます。100名を超える民間人の犠牲をみたアメリカ政府は、ドイツ政府に強硬な抗議を行なっています。なお、昨年12月21日のクロニクルに記した、日本郵船の八坂丸が撃沈されたのも、ドイツの潜水艦によるものでした。 ドイツ政府も、アメリカの参戦を恐れ、以後攻撃前に警告を発する旨を約束して、この時は収まったのです。物資の欠乏に悩むドイツは、16年12月に、アメリカ大統領ウィルソンを通じて、連合国に休戦を申し入れて拒否されると、追い詰められたドイツは、1917年2月に、イギリス・フランス向け航路内の全船舶を、無警告で攻撃するという無制限潜水艦作戦に踏みきりました。英仏、特にイギリスを屈服させるための最後の手段という、触れ込みでした。 実は開戦当初、大いに期待されたドイツ海軍は、イギリス海軍と相打ちの健闘を見せた16年5月のユトランド沖開戦を除けば、一方的な防戦に終始して、港に釘付け状態となり、英仏による海上封鎖を受けていたのです。それ故に、海軍はこの作戦でイギリスを屈服させ、汚名挽回を図ろうと張り切っていたのです。 2月に作戦を開始すれば、イギリスは海上からの穀物輸入の道を閉ざされ、収穫直前となる8月までに、屈服するに違いないと、考えてのことでした。ドイツは、イギリスやフランスが自国船だけでなく、世界の船舶を利用できることを計算していなかったのです。 こうして無制限潜水艦作戦は、一定の成果は上げましたが、戦局を左右するような起死回生の成果をあげるなどということは、望みえなかったのです。8月には作戦の失敗は明らかでした。そして、この無謀で、やけっぱちのような作戦は、それまで中立を保っていたアメリカをして、遂に連合国側に立って参戦する事を、決意させてしまったのです。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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