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ザビ神父の証言

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2007.12.23
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カテゴリ:国際政治
第一次世界大戦(29)

占領地の悲惨

第一次世界大戦が、予想もしない長期戦になり、国家の総力をあげた総力戦となったこと、総力戦体制を築けなかったり、途中で破綻にいたった国では、敗北や国家体制の転換が起きたことは、既に記しました。

ところで、1914年に始まった戦闘においては、初期の東部戦線を除くと、一貫してドイツ中心の同盟側が国外に前線を設けて一部地域を占領している状況が続きました。膠着した西部戦線でも、前線は占領下のベルギーから、北フランスにありました。だからこそ、1916年までの大会戦は、マルヌ、ヴェルダン、ソンムといずれも北フランスを戦場として戦われました。

南部戦線では、セルビアとルーマニアを占領下に置いていましたし、ロシアとのブレスト=リトフスクの講和条約ではフィンランド、バルト三国からポーランドそしてウクライナを占領下において割譲させていました。

戦線では国土の外に対陣しているドイツ側同盟諸国が、しかし海上封鎖にあって、食糧や工業原料の不足に見まわれ、物資の欠乏に悩まされていました。海外の広大な植民地や米国や日本といった連合諸国から必要な物資や資金を補充できる協商諸国は、挙国一致の国民合意内閣の指揮下に、物資不足はほとんど問題にならない状況にありました。

こうなると、占領下の民がいかなる扱いを受け、いかなる苦しみを蒙るかを想像することは難しくありません。原料や食糧の不足を補うための、力づくの調達は、占領直後から始まりました。オーストリアはセルビアから40万頭以上の牛や羊を奪い、ロシア領ポーランドからは、16,17の2年間だけで貨車2万輛分の穀物とジャガイモ、30万トンの石炭を強奪しています。ドイツもロシア.フィンランドから牛馬で10万頭を3ヶ月で移送しています。これに占領軍による大量の消費が加わるのですから、押収量はここにあげた数字をかなり上回るのです。

それでもドイツ,オーストリア国内の物資や食糧の不足は収まりませんでした。1918年に入ると、両国の国内では民衆や兵士の不平不満は高まり、不穏な情勢は次第に深刻化していきます。しかし、こうした占領地における食糧や物資の調達が、占領地の民衆には、いかに苛酷で絶えがたいものであったかは、これから20数年後にわが日本の軍隊が戦地で行ったであろうことを、想像する必要と合わせて、重く受けとめておく必要があると、私は考えています。
                         続く





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最終更新日  2007.12.24 00:40:36
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