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ザビ神父の証言

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2007.12.24
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カテゴリ:国際政治
第一次世界大戦(30)

ドイツの博打

革命ロシアの戦線離脱は、形成不利だったドイツにとって、一挙に形成を挽回する千載一遇のチャンスが巡ってきたように見えました。ドイツ軍部もそう考えました。

しかし、革命ロシアの混沌と兵士の戦線離脱に付け入って占領地を広げたドイツは、占領地支配のために100万人もの兵士を、戦争の終結した東部戦線に残さざるを得ませんでした。それゆえ、西部戦線に回せる兵員には限りがありました。

それでもドイツ軍は、東部戦線に配置した30個師団を西部戦線に投入し、18年3月21日から、西部戦線での最後の大攻勢に出たのです。世に言うミヒャエル作戦です。それは、ようやく兵士の徴集を本格化し、欧州の戦場に続々と兵士を送り込みつつあったアメリカ軍が戦闘配備を完了する前に、英仏軍を叩かなければという、思いからでした。この時点での在欧アメリカ軍は、まだ14,5万人であり、前線には配置されていなかったからでう。

ドイツ軍は6600門もの砲を、一挙に投入して大砲撃を行い、決死の攻撃を仕掛けました。この攻撃は一時的には成功し、3月末には英仏両軍の中間線を突破し、連合軍を危機的状況にまで追い詰めるにいたりました。

この優勢は6月までは続きましたが、しかし、ドイツ軍の攻撃は英仏両軍に戦線を離脱させることは出来ませんでした。予備の師団を含めて全軍を繰り出したドイツ軍に対し、後退しながらも英仏軍にはなお余裕がありました。予備の師団を続々と繰り出す事も出来ましたし、アメリカ軍が大西洋を渡って、続々と来援してきてもいたからです。

ドイツでは、軍部から戦勝の報が届くと、学校を休日にして祝賀の日を設けたりして、最終的勝利への期待が盛り上がったりしましたが、それは一場の夢に過ぎなかったのです。

このドイツ軍の一時的優位の状況下で、皮肉なことに前線の将校や兵士は、後退した敵軍の残した物資を見て、ドイツの勝利がありえないことを悟っていたのです。
                       続く





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最終更新日  2007.12.24 22:17:00
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