カテゴリ:スポーツ
クロニクル 広島カープの存続決定
1951(昭和26)年3月23日 67年前の話です。1950年は、プロ野球がセ・パ両リーグに分裂した年です。戦後日本の復興の中で、スポーツといえば、野球と相撲がほとんどだった人たちに、楽しみの機会を増やそうという試みでした。 広島カープもこの時に誕生しました(正確には1949年の12月15日に加盟が承認されています)。「廃墟の広島の復興のシンボルに」と、市民や県民が資金を寄付、他に例のない市民球団としての誕生でした。市内を流れる太田川は鯉の産地、広島城の愛称は鯉城だったことから、球団名は広島カープと決まりました。 球団は出来ましたが、初年度の1950年は、勝率3割を切る最下位。オフには解散案や太洋ホエールズとの合併が真剣に検討される事態となったのです。何か楽天の事態を思い出しますね。 このとき、立ち上がったのは、なお放射線の被害に苦しみながらも、復興に向けて働いていた市民たちと、その市民を後押しする中国新聞社でした。市民たちは、居酒屋で相談をしたのでしょうか、大きな酒樽を募金箱とする「樽募金」をはじめ、中国新聞社の協力もあって、球団存続に必要だった、当時のお金で400万円を集めきったのです。 こうして、51年度の開幕も近づいたこの日、広島カープの存続が、正式に決まったのです。廃墟に立つ人の力が、球団を存続に導いた過去が、市民球団広島カープの今日に繋がっているのですね。カープ女子が評判になったり、顰蹙をかったりしておりますが、このカープ女子年齢層が広いことに、一つの特徴があります。年輩のシニア世代、美魔女世代、そしてヤング世代に中高生世代と様々なのは、彼女たちがそろって、自分たちの球団と言う意識を持っているからこそなのでしょう。 廃墟から立ち上がった日本人の底力。その典型の1つが凝縮されているように感じられる、広島カープ創世記の物語でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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こんにちは♬
ザビ神父さんの過去のブログ「第一次世界大戦」記事を初めて拝読しました。先ず一つ。 いやあ~凄い大作記事です。とても面白く拝読。ゆっくりと次の記事へと読み進めていきます。 (2018.03.23 17:30:22)
こんばんは
広島市民球場と言いますから そのような事情があったのですね もめると グランドになだれ込む 物を投げ入れる 中日球場もよく似ていた過去 熱狂なんですね (2018.03.23 18:07:46)
私は野球には全く疎いです。ところが小4の孫が野球のキャプテンで、会うと野球の話ばかり、話を合わせるのが大変。
(2018.03.23 18:42:25)
カープファンのぴあちゃんが喜ぶ話だわ。
地元に愛されている球団ですものね。 (2018.03.23 23:29:58)
おはようさんさん。
いつも応援ありがとなし。 栄枯盛衰、巨人はダメ、そしてカープが 元気・・・ この暖かさで、週末から来週初めには、 桜も満開となるでしょうね・・ (2018.03.24 09:22:35)
市や県がオーナー(?)って・・・そういうのも、いいと思います~♪
カープが優勝したり、凄く強い時代があったでしょ~! ジャイアンツの帽子より、カープの帽子の子どもが増えて、とっても、印象的でした~! (2018.03.24 11:32:51)
nik-oさんへ
ニックさんのお年頃で、野球に疎い方は希少価値だと 思います。 お孫さんが野球少年では、今から野球をにわか勉強ですね。サチ夫人と一緒に頑張ってください。 (笑) (2018.03.24 22:30:53)
meron1104さんへ
地方都市は余計にそう感じます。 セとパ、1950(昭和25)年に、球団数を増やした結果、 リーグを2つに分けたのです。日本シリーズも。この年に 始まりました。 (2018.03.24 22:33:17)
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