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テーマ:アメリカ外交史(232)
カテゴリ:米外交史
▼ウォーターゲート事件
あの悪名高いウォーターゲート事件では、暗殺集団オペレーション40で、ロレンツの上司であったスタージスと、スタージスのボスであるハントが首謀者であり実行犯であったのだ。しかも、反カストロの亡命キューバ人たちも、侵入事件の実行犯として暗躍していた。 では、そのウォーターゲート事件について、説明しよう。 大統領選挙の序盤戦が繰り広げられていた1972年6月17日、5人のグループがワシントン市内のウォーターゲートビルにある民主党全国委員会事務所に忍び込んだところを逮捕された。逮捕されたのは、フランク・スタージスを含むキューバ人ら5人であった。 最初は、何の変哲もない住居侵入事件に思われた。しかし、侵入犯の一人がニクソン再選委員会の警備主任であることがわかると、一気に疑惑が噴出した。ワシントンポスト紙は政治的陰謀の可能性を示唆しながら、事件の主犯が元CIA諜報部員のハワード・ハントで大統領補佐官とも緊密な関係にあることや、ニクソン再選委員会の資金が侵入犯の活動資金になっていたことなどをすっぱ抜く。 これに対しニクソン大統領は関与を否定する一方で、裏では事件の揉み消しを指示。しかし、ハントと元FBI捜査官のゴードン・リディが侵入事件当日、別の場所から侵入犯に指示していたことがわかり、結局ハント、リディの主犯格二人と、スタージスら実行犯5人の計7人が起訴される。彼らは、民主党のマクガバン大統領候補がカストロやホーチミンから資金をもらっている証拠を握る目的で、盗聴器を仕掛けに事務所に進入したことを認めた。 1973年1月には裁判が始まり、被告は全員有罪を認めたが、あくまでも「単独犯」であることを主張した。同月30日には被告全員に有罪の判決が下された。 ニクソンの思惑に反して、事件はこれで幕引きとはならなかった。 2月9日に上院がウォーターゲート特別調査委員会を設置、本格追及を始めると、メディアも次々とホワイトハウスの陰謀を暴露していった。タイム誌は、ホワイトハウスを舞台に盗聴が頻繁に行われていたことをスクープ。ハントがほかにも侵入事件を起こしていたことや、ハントが政府内部の情報をすっぱ抜くジャック・アンダーソン記者を殺そうとしていたことなども次々と明るみに出た。 同年5月22日、ニクソンはとうとう、盗聴工作、侵入事件などを認めたうえで、国家安全保障のために必要な措置であったと弁明するまで追い込まれる。 その後もメディアや議会の追及は続いた。大統領執務室での会話を録音したテープがあることがわかると、テープの提出を拒否するニクソンと、提出を求める議会・司法省の対立が激化。1974年7月27日には下院司法委員会が、テープ提出を拒否することは司法妨害であるとする弾劾決議案を可決する。 苦境に立たされたニクソンは同年8月8日、突如大統領を辞任する。ニクソンの後、大統領に就任したジェラルド・フォードは、ニクソンに恩赦を与え、ニクソンの犯罪は裁かれずに終わった。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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