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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
中国側の勘違いは、おそらくヤマトトトヒモモソヒメとヤマトトトヒメを同一人物であると勘違いしたことです。 二人は叔母と姪の関係にあります。 ですからヤマトトトヒメの「弟」である崇神天皇を、ヤマトトトヒモモソヒメの弟であると思ってしまった。だから男弟としたわけです。
それでも系図に詳しい方は、崇神天皇はヤマトトトヒメの弟ではなく、叔母と甥の関係ではないかと指摘する方もいるでしょう。
正しい見方ですが、それは間違っています。 開化天皇が孝元天皇の側室であるイカガシコメを正妃に迎えたことによって、ヤマトトトヒメは崇神天皇にとって義理の姉になってしまうというからくりがあるんですね。
というのも、孝元天皇がイカガシコメを側室にした後、ヒコフツオシノマコトが生まれています。その後、孝元天皇が亡くなった後、開化天皇がイカガシコメを正妃として崇神天皇が生まれています。 ヒコフツオシノマコトはヤマトトトヒメの異母弟ですから、崇神天皇にとって異父兄のヒコフツオシノマコトの姉は義理の姉にということになるわけです。
もう一つの口伝では、開化天皇がイカガシコメを正妃とした時には、既にイカガシコメのお腹の中に崇神天皇を宿していたという可能性もあるわけです。 そうなると、崇神天皇にとってヤマトトトヒメは異母姉。ヤマトトトヒメにとって崇神天皇は異母弟ということになります。
ヤマトトトヒメも実は非常に重要な「古事記から隠された祭主(伊勢神宮初代祭主)」でしたから、中国側が卑弥呼と勘違いするのもやむをえなかったといえます。ヤマトトトヒモモソヒメとヤマトトトヒメを同一人物だと勘違いしたのなら、時代考証的にも、卑弥呼の男弟は卑弥呼の時代に天皇の位にあった崇神であったことがわかるわけですね。
では、『魏志倭人伝』で「唯男子一人ありて、飲食に給し、コトバを伝え、居所に出入す」と書かれている「ただ一人の男子」とは誰でしょうか。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.06.17 21:06:49
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