|
テーマ:旅のあれこれ(9942)
カテゴリ:歴史散歩
翌25日。隣のラザフォード・カレッジで私たちのオリエンテーションが始まりました。
おそらく新一年生用のオリエンテーションと留学生用のオリエンテーションに分けられていたと思われます。 もちろん私が参加したのは、留学生用のオリエンテーションです。 その日の朝食はダーウィン・カレッジの食堂でとったと思いますが、よく覚えていません。食事のシステムとしては、寮生であることを示す食事カードが必要でした。 割引が重複されて使われることがないように、一回ずつスタンプが押されます。 つまり一回朝食をとったら、その日の朝食分としてはもう使われなくなります。 朝、昼、晩一日三回の食事券のようなものですね。 オリエンテーションはこの日を含め、2~3日あったように思います。 28日の日曜日は休みで翌週の29,30の両日はおそらく履修学科登録日でした。 オリエンテーションでは、皆が友達探しに躍起になりますから、すぐに知り合いが増えます。 留学生の多くはアメリカから来ていました。 私もすぐに何人かの米国人留学生と仲良くなりました。 大柄な女性でギリシャが大好きなジョイス、後にテニス部で一緒になるデイヴィッド、フランス文学で一緒のクラスになったスーザン。 ほかにも顔見知りになった米国人学生はいましたが、いまでは名前も顔も忘れてしまいました。 その中でもジョイスとデイヴィッドは同じダーウィン・カレッジの寮生でしたから、特に仲良くなり、よく覚えています。大学卒業後、一度だけデイヴィッドからハガキをもらいましたが、それ一回きりです。お互い忙しく、全くの音信不通に。今でも再会したい同窓生の一人です。元気で暮らしているのでしょうか。 よく冗談を言い合ったジョイスは、後の1993年に送られてきた同窓生名簿を見たら画家になったと書かれていました。 彼女は結婚して二児の母となり、カリフォルニア州のサンタクルーズに住んでいるそうです。 学生時代からとてもおおらかで優しく、包容力のある母親のような雰囲気の女性でした。 オリエンテーション期間中には、特にフランス人留学生と仲良くなりました。 同じダーウィン・カレッジには、ブリジッド、マリ=ノエル、エレン、カトリーヌというフランスの田舎からやってきた女性の留学生が四人おり、年間を通じて、よく一緒に寮の食堂で食事をして情報交換をしました。 その年の12月8日にニューヨークでジョン・レノン銃殺事件が起きるのですが、その事件のことを最初に食堂で教えてくれたのも、彼女たちでした。 確かパリから来たノアという男子留学生とも最初のころは仲良くしておりました。 私のフランス語の発音を直してくれたのもノアです。私はフランス語のetをestと同じように「エ」と発音してしまう癖があったのですが、etは小さい「オ」に近い音です。 「ウ」を発音するときのようにちょっと口をすぼめて「エ」と言えば、小さい「オ」になります。子音の「e」もアクセント記号がない限り基本的に同じです。 ノアは学期中も私が学業で大変そうにしていると、気分転換をしようと街中のパブに誘ってくれたこともありました。 ノアには言いませんでしたが、私はパブではあまり気分転換ができないんですね。 むしろ、テニスが私にとっては気分転換になります。それは以後40年間、変わることはありません。 ほかにドイツ人留学生とも仲良くなりました。細身の体で私より少し背が高い、眼鏡をかけたマイケルとは、すぐにテニス友達になります。長身のインテリ風金髪美人ユータとも比較的仲良くなりました。 インドの裕福な家庭からやってきた男子留学生ともオリエンテーション初日に非常に仲良くなったのですが、オリエンテーションが終わるころには、「ホームシックになったから、実家に返りたい」と言い始めます。ジョイスたちと一緒に大学に留まるよう説得したのですが、学期が始まる前に、インドに帰っていきました。変な話ですが、人間の手相が運命とともに日々変わるのだという考えを最初に教えてくれた人がそのインドの留学生でした。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.10.19 16:37:00
コメント(0) | コメントを書く
[歴史散歩] カテゴリの最新記事
|
|