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テーマ:読書(8292)
カテゴリ:本日読了
〈DATA〉 みすず書院 / 著者 ノーマ・フィールド 大島かおり 訳 2006年3月10日 印刷 2006年3月20日 発行 〈私的読書メーター〉 〈日米両親の元東京で生まれる。親の離婚や母の結核静養中、幼い彼女を文字通り真綿で包み育てたのは母方の祖母だった。祖母と深く結びついた家と庭の四季の移ろい、明治生まれの祖母が持ち得たごく普通の節度や価値観は著者の根幹ともいえる。一方、父の国では日本研究で教鞭をとる。祖母介護に尽くす母の支援、学問研究の二国間の長の往来からの日本への眼差しは冷徹で鋭い。「日本は個人なき個人主義と物言う人間を攻撃する、連帯とは無縁の集団意識の時代に陥り、戦後民主主義の夢を最終的に手放してしまう瀬戸際」の警鐘が予言となりつつある今〉 ノーマ・フィールドはおばあちゃんがどうしようもないくらい好きなのだ。 その、好きという気持ちは祖母からアジアの高齢の女性へと敷衍していく。 戦後間も無く、東京の中流の、日本の家屋とそこに住む人。ところが、自分は茶色い巻き毛で、明らかに風貌も違う。 そのことで辛い思いをした記憶はここには書き留められていない。 長じて、半ば認知症を患う祖母に、あまり期待せずに病院に連れて行かれた幼い日の事を問うた「へんな子を病院に連れて行くのはいやじゃなかった?」 長い沈黙の後、「へんな子じゃないもん、自慢の子だもん」 と言った祖母 当時でいう「あいのこ」である、寄る辺ない彼女をおしいただくように大切に育てたおばあちゃま。 その事がどれだけ彼女の中に自己肯定感を育んだだろうか。 おばあちゃまこそ、3人の娘と彼女の宝物だった。 エッセイ最後におばあちゃまの嫁いだ頃の肖像写真がある。 それはそれは美しい。 かつての日本にはこんな美しい、聡明な、人間の真を浮かべる顔というものが存在したのだなあ。 文頭の詩、度々登場する石垣りんの言葉 これらもまた、一般の日本の女性がどう感じ生きて来たか、そんなふうに著者が広げてくれている。 彼女らを慈しむように。 金言 p202 「とはいっても首相という公職は、ふつうの市民に要求される以上の義務をともなっている。 そしてそういう特殊な義務は、首相たるもの、自己の判断で引き受けた義務ではないか。 でも、自民党にだって、英雄たれと求めるわけにはいかない。 首相の生命は、ふつうの市民の生命よりも警護でしっかり守ることができるじゃないか。 しかし民主主義は英雄を当てにしてはいけない。 民主主義が必要としているのは、政治を真剣に考える市民なのだ。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.11.12 11:31:28
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