『マクベス』 石井訳
2023/12/05/火曜日/家にいる日は曇天でも好〈DATA〉著者 ウィリアム・シェイクスピア訳者 石井美樹子発行所 河田書房新社2021年5月20日 初版印刷2021年5月30日 初版発行〈私的読書メーター〉〈同じ翻訳テキスト再読。あらら読むたび新た。2年前の私は今の私ではないことの証明か。先日の初冬が本日は小夏。今どきの天候のように落ち着かぬマクベスが心情。ヒースに現れた三人の魔女にたぶらかされ夫人に油を注がれ、忠臣マクベスは王を殺害し、側近に罪を被せた上で彼らも討つ。さもさも忠君義憤の二枚舌。悪業がばれれば王殺し、の恐怖に彼の剣は次々と血塗られる。死人に口なし。死者の思いはマクベスの独白に、彼の幻視に、大地の空気に織り込まれマクベスという人間を震わせる。或いは、過去から未来から三人の魔女の姿を結ばせる。〉問題の fair is foul, foul is fair. 石井訳では 晴れは曇り、曇りは晴れこういう訳は初めて。きれいはきたない、が慣れ染めている。スコットランドやアイルランドの変わりやすい天候は、短日滞在の私も経験している。一日の中に晴れも曇天も雨も夏も冬もあるような日には「fair is foul, foul is fair. 」とも確かに言いたくなるだろう。それに連動するマクベス登壇の最初の台詞を「こんなに天気が悪いのに戦いに勝ち、こんなに良い日は初めてだ。」と訳している。これはどうか。救いようもなく人殺しに堕していく主人公マクベスの第一声とするには物足りない。これから先のマクベスの運命が織り込まれたものになるにはどうすべきなのか。魔術によって、「バーナムの森がダンシネンの城にやって来るまで」、また「女から生まれた」者によってはマクベスは滅ぼせない。本書訳では女から ではなく女の股から、と表現される。マクベスを討ち取るマクダフの産まれた経緯からするとその方が整合性も高く、すっきりする。この言い回しについては、後書きにシェイクスピア時代のイギリス国教会埋葬式の『共通祈禱書』から次の引用がある。「女から生まれた者が生きるのはつかのま、人生は悲惨に満ちている。…花のように伐られ、やがて影のように消える」OED Oxford English Dictionary を駆使し、幅広くキリスト教研究も重ねている訳者の努力に敬意。訳者が『マクベス』の主題は二律背反の二枚舌、と見る歴史背景に、議事堂爆破計画未遂事件があったという。これぞ王殺しとテロを目論む事件だった。カソリック神父ガーネットの『二枚舌の論考』は、英国で締め付けのきつくなったカソリック信者が生き延びる方便として書かれ、二枚舌論が巷間、論議の的となり、社会現象となったという。事件の真相は、カソリックの根絶やしを図った英国王の最側近である国務長官のでっち上げ、というのががまことしやかだ。盧溝橋事件であるか。事実、この事件を機に英国のカソリック教徒への差別と迫害の歴史が始まる。とどのつまり誰が益したか。歴史はそこからよく見えて来る。宗教と政治の権力闘争の17世紀初頭英国、大航海時代の富が偏在しはじめたその時代。大資本家時代の幕開けに。11世紀のスコットランドを舞台に、魔術的二律背反の枠組みの中に、二枚舌のマクベスなる臆病な残忍な偽の王をいっとき現出させ、結果、人間の留まるところを知らない欲望を裁断する。マクダフのいう自由はどこまで有効なのか。そんな問いも含み幕が降りる。バーナムの森は動いた。女の股から生まれなかった漢がいた。この二律背反はどうか。動く森バーナム。トールキン『指輪物語』のエントはこれが源泉か。お釈迦さまは母である王妃が花園で咲く花に手を伸ばした時、その脇から生まれ出て歩いたのだった。聖王の統べる古い秩序世界が、サカシマに破壊された。それは二枚舌を繰るニセの王だった。二律背反に符合した新たな勢力はこれを討伐した。穏やかな眠りが再びもたらされた。しかし、fair is foul, foul is fair. と見据えた魔女らは杳としてその行方が知れぬ。ヒースに忽然と姿を現すか、我らの時代に。