2023/03/22/水曜日/桜はほぼ満開
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〈DATA〉
集英社社 / 著者 小川哲
2022年6月30日 第一刷発行
2018/10月号〜2019/5月号
2019/7月号〜9月号
2021/1月号〜11月号 「小説すばる」
〈私的読書メーター〉〈どなたかの「物理的に重いがはそこまで重くない」感想に膝を打つ。山田風太郎賞受賞の意義あり。主題は拳=戦争というよりは20世紀初めに幻のように現れた、今は世界地図のどこにも無い満州国の架空の街の都市計画上に、やはりフッと立ち上がった建造物の、時間と空間と言えるのかも。そこに入れ替わり立ち替わりの群像劇。中でも魅力的なのが細川と孫悟空。共に百年のオーダーで「地図」を幻視した。建築と音楽のヴォイドについて前者は内井昭蔵の建築雑誌寄稿文を昔日興味深く読んだ事や建築家中村與資平の事などが想起された。〉
地図といえば、忘れられない記憶がある。
学生時代に訪れたカトマンズの、確か「チベット人の家」とかいう名の食堂の壁に貼ってあった世界地図。
その地図は、それまで私の目に親しんだ世界地図とは全く異なるものだった。
中央にはユーラシア大陸。
日本は正しくファーイーストの右端隅っこで、
何と!北海道は欠けていた。
おおー、世界からはこう認識されていたのだ
本邦よ、という発見。
そんな目から鱗、意識の座標転換体験こそ、実はインドネパール旅の白眉だったかもしれない。
そんな世界の隅っこ島国が抱いた仮想敵国ソ連への深謀遠慮。
ソ連の南下を防ぎつつ、石炭エネルギー確保に走るにあたり、日露戦争犠牲10万英霊に対する勝利品の貧弱という国民不満の醸成。
その追い風も受け仕立てられた満州国は、しかし世界のどこからも国として認知されなかった。
あゝ〈遅れてきた青年〉の一周半遅れ。
つまり、世界地図に載ることはなかった。
ここで疑問。日本で当時、満州国の存在する世界地図は存在したのだろうか?
小説中の幻の島と満州国がだぶるではないか。
さて、五国共和を歌った満州国
小説では、日本人朝鮮人ロシア人満州人漢民族モンゴル人及びその土地で死んだ英霊がうち揃い、自由と平和と繁栄を享受する、そんな浄土を打ち立てようと若きアンビシャスを具現化した細川がいた。
確かに、二心なしに理想の大地を目指した人びとも現実にいたときく。
そんな彼らも、妖怪岸信介←故安倍氏祖父、のような自己の利益に聡い満州国官僚の姿に幻滅して早々萎んでいった。何でもアヘンでひと財産築いた?
凶作と不況に喘ぐ日本の寒村から娘が売られていく現状を打破しよう、満州でなら小作農ではなく大きな耕地の持ち主になれる。
政府が甘言を弄したと非難される側面大とはいえ、その農地はそもそも誰のものだったか、自らに問う事にフタをした、その事実も重い。
しかし、どちらが辛酸を舐めたか。
官僚機構は結局あの敗戦を挟んでもそのまま引き継がれたのだなぁ。この鉄の構造。
長野県飯田市に程近い、阿智村に満蒙開拓平和記念館がある。満州国に渡った人びとの実情を学ぶことができる。当初個人の力で設営された記念館である。
そこを見学した際に、平成天皇ご夫妻がこの記念館を訪れた事を知り少しは心が温まった。
さて、この小説の重要なファクター、もう一つの柱は都市計画だろうと考える。
コルビジェの 輝く都市 だったかの話なども出てきた。コルビジェといえば。
若い頃、マルセイユまで出かけて ユニットアビタシオン 集合住宅壁のレリーフ、人間のモデュロールを見たときは感激した。けれど建築そのものはピンとこなかった。
コルビジェはやはりロンシャンの教会堂
ユニットアビタシオンが機械とするなら
ロンシャンは生命だ。そのくらい違う。
私は建築好きなので、こんな小説は美味しいのであるが、文中で、中川が明男の建築プランを「明後日」と
代官山同潤会アパートの部屋で評した件。
これは アーコサンティ を匂わしたのか?
などと妄想した。
思想は跳躍しても技術は一歩ずつ前進するのだなぁ、
「エレベーターと空調」なるほどなぁ、の超高層。
それに内井昭蔵の寄稿文に影響を受けたのではないかと思われる、建造物とその利用空間について
もっと迫りたいものだがここでは一つ音楽について。
音楽家は五線譜に音符を連ね作曲する。現代音楽はいざ知らず、再現性のためにはともかく。
しかし音楽を聴くものは、そのピン留めされた音符の移行のみを音楽と感じているだろうか。
実は音と音の間、インターバル。或いは休符、その無音にこそ音楽的感情が乗るのではないか。
摩擦で生じるのでは無い音をウパニシャッド哲学だった? アナハタ と名づけている。
そんな音の原型が宇宙を満たし、生じ滅して流れているのではないか。
ひとは設計された建築物ではなく、それが構成した空間を動いて暮らして休んでいる、ように。
本を読んで随分遠くまでふらふら来てしまった。