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テーマ:読書(8597)
カテゴリ:本日読了
2024/10/07/月曜日/夏の回帰
揺れる車の中で作業していたら書籍画像を 消失( ´Д`)y━・~~仕方ない。鹿ぞ鳴く奥山画像でも 〈DATA〉 出版社 河田書房新社 著者 足立巻一 昭和49年10月20日 初版印刷 昭和49年10月25日 初版発行 〈私的読書メーター〉〈ハードカバーで読む。文庫の表紙がハテ春庭でなく宣長?著者は手っ取り早く国語教師になるため、当時松阪にあり、戦後皇學館となる官立の神職養成専門校に進学した。その国粋主義には鼻白らむ節もある文学好きな足立青年の魂を揺るがしたのは、「ふしぎですねえ…語学者には春庭のような不幸な人や、世間から偏屈と言われる人が多いようですねえ」、教授がふと漏らした言葉だった。文法はあらゆる学問の中でも、もっとも孤独でさびしいつつましい学問である、とも教授は定義した。戦前戦後を通じて当にその態度で春庭を調べた、記録と記憶の書物上巻〉 上巻441ページ、ずっしりである。 本居宣長が『古事記伝』を上梓するのに40何ほど掛けたとのことだが、著者が春庭に関心を抱いた青年期から本書刊行までも有に30年を超える。 その間には大陸と大国との戦争、敗戦、職の変遷もあったに関わらず。 卒論研究を春庭と定め、松阪の古本屋では店主と懇意になり、関連資料を渉猟し、気になる資料の著者や宣長末裔を東京に訪ねる、大学図書館を訪問するなど、実に熱心、活動的だ。 後の新聞社勤めもむべなるかな しかし何より歌の人、なのだなあ。 本文中にも登場者の和歌が沢山引用されるが、私なんぞ和歌音痴で、どこが良いのか悪いのかもさっぱり分からない。 足立大人の仰るには、素直な心が真っ直ぐに反映して、その人となりを浮かび上がらせる、そのような素朴な味わいを是とするようである。 それが日本のうた、であるようなのだな。 ああ、ああ思いだす。 私が今一つ苦手に感じた、瞼を伏せることなく凝視して、何でも有り体に話す叔母のこと。 その様子を見ていたのか、ある日父が、「お前はあのおばさんをどう思うか?と聞いた。あの人は生まれたまんまのようなところを持っているね、あの人は俳句?短歌?がよく新聞に載っているのだよ。」 へー!驚きだった。そんな文化的なことからたいそう距離があるように感じられる人だった。 父は続けて、どこそこのお寺のお坊さんが何やらめかして手提げなど持っていそいそ歩く姿を見かけ、どちらへと尋ねたら、ええ句会の集まりでとのことだけど、あの人の句を新聞で見たことは一度もない、と苦笑したのだった。 まだ中学生にはなってなかった頃 歌とは素朴な、見たまま正直な心がうたうもの、と知った初めで、理屈好きが芽生えていた私にはそんな素朴さは遠いもののように感じられた。 今なら私自身はうたえなくても何となく共感できる。そんな朧げな先の先で宣長も振動している。 のだということが。 本書は宣長の異様な二つの葬列、そのことが処世家宣長と学究者、詩人としての宣長を解く鍵として小林秀雄と同じく、それから筆を始める。 著者自身の特殊な学生時代と並行させながら。 彼の国学の学生時代と宣長の過ごした松阪、鈴屋、山室山は、ぴたり空間が重なり合うのである。 ーー 宣長没した陰暦九月二十九日を陽暦に置き換えたまま、全校揃って山室山奥墓に参拝するのが年中行事であった。 夜明け前に学寮を出発、サクラの苗木を載せた荷車を先頭に隊列を組み校歌寮歌を合唱しながら伊勢街道を松阪に向かう。 宮川を渡った辺りで夜が明ける。そこから松阪までは20キロ、明野の陸軍飛行場を過ぎ、明星、斎宮、櫛田といった村々を過ぎる。 現つ御神 高知らす国は 天つ日嗣 神こそ守らせ 遠つ祖の雄心伝へて 今も人の神習ふ国ぞ そんな校歌を歌い、松阪に着くのはいつも十時半頃、そこからいよいよ山室山をめざす。 ーー こんな著述に重ねて、当時の記録を紐解き、宣長の葬列の場面が出てくる。 それからふと蝉の鳴き声でも聞こえ出すように、本の中の現在に戻る。 ーー 学生が詠進した和歌を三十首ほど冷泉龍朗詠で読み上げる。 大いなる安けさに似たるもののあり 神に近づく吾なるらむか 祝日古 山室は高からねども頂きに登れば見ゆる 伊勢の国原 治壮 など。ところで、わたしたちの前の奥墓は宣長が『遺言之事』で残した設計図とはずいぶんちがう。 …宣長が遺言で感動的に述べた簡潔美はない。宣長は石垣はもちろん、篤胤の石碑にさえ、いやな思いをしているのにちがいない。 ーー 宣長への理解が篤いのである。 全ての描写が目に浮かぶようであるのが、歌を読む人らしい。 さてさて、熱い方の平田篤胤が本書最後半に、過剰な熱量を発して登場する。その登場はまさに風雲急を告げる黒船の煙もくもく、のごと。 天皇復古、尊王攘夷、錦の御旗、廃仏毀釈の暴力へ人びとを雪崩れ込ませたあと、悪夢から冷めたように神道は卑小化させられ、諸外国からお雇い教授が当節のハイテク技術を指導しに日の本へ招聘される。 帝国ホテルのすぐ脇には鹿鳴館なる上流の社交場ができて、ツイこの前ちょんまげ落とした頭にシルクハットを被るのかは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.07 13:40:14
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