100年目の日の帝国ホテル見学 ①
2023/09/02/土曜日/外を歩くのが午後からは辛いほど昨日9/1 旅冊子ノジュール企画で帝国ホテルの歴史見学とお食事の会に昨日友人と参加した。奇しくもライト館オープンは100年前の関東大震災の日。集合場所は本館17階ホワイエ。ここからは日比谷公園や皇居の杜が綺麗に見渡せる。先ず案内パンフレットの古い地図の点検からスタート。この地図に帝国ホテルはあるが、東京駅は未だない。当時のターミナル駅は新橋で、これが帝国ホテルから案外近い。↑明治末か大正初めの地図と思われる、とのこと。真ん中黄色の枠が帝国ホテル。建築当時はホテルに隣接して鹿鳴館があり、南に銀座、北にお役所霞ヶ関、西南に新橋駅と、政治、経済、社交、交通の要所だったという。現在のみゆき通り←帝国ホテルと日生劇場間道 は当初はお堀。お堀に面した姿でホテルは建てられた。みゆき通り向こうの日生劇場と宝塚劇場は、もともと関東大震災で消失するまで日比谷大神宮があったが、四ツ谷に移転した今の東京大神宮だとか。当時神前式の結婚式を挙げて、お堀を渡り帝国ホテルで披露宴を行う、というのは上流のステータスだったろうが、神社移転後はその機能はしっかりホテル内に取り込まれた。↓かつてのお堀に沿った長廊下は、中2階にあり、このままロビー上の回廊に繋がる。結婚式の演出に用いられるのかしら?長逗留客のフィットネス散歩道にもなるらしい。帝国ホテルは元々が海外からの要人のための国際ホテルとして官民協働で133年前に、初代会長に渋沢栄一を据えてスタートした。その後、周囲は目まぐるしく変化したものの、帝国ホテルはまるで台風の目のように、その中心で落ち着いている。もっともその台風の目は驚きの短いタームで変態していく。当初の帝冠様式を33年で脱ぎ捨てると、渋沢栄一のたっての希望で、ニューヨーク山中商会の林愛作氏が支配人に招かれる。山中商会の歴史は大変面白い。短い時間ではあったけれど、世界の王侯貴族など超一流の顧客を持つ骨董屋が明治末から大正にかけて日本、世界にあった。この林愛作が、タリアセンのフランク・ライド・ライトを訪ねてホテルの設計を依頼した。実に慧眼であります。愛作とライトがかねてより知人だったとはいえ。コルビジェでもなく、ミース・ファンデルローエでもなく、ライト。ライトは土地やその土地から産出される土、石、樹木というスピリッツに敬意を払い、それらを統合して自身とは異なる文化体系に寄与できる偉大な芸術家だと私は思う。というか、日本の美意識からインスパイアされてその後の彼のスタイルが生まれた。そしてその独自な、自然に対する謙虚な姿は今日益々輝く。帝国ホテル設計時の助手レーモンドは、後に吉村順三を育てた。その時日本側スタッフとなったのは遠藤新であり、ライトの設計思想を明日館や山邑邸に忠実に流し込んだ。そんなライト館もわずか67年で役目を終えて、一部は犬山市の明治村へ。そして現在の本館も50年が経過し、来年からのタワー館建替えの後、新たな姿を2036年に目指すというのだ。渦の中心、台風の目帝国ホテルはその場所に留まり続けながら、自らは激しく振動しているようだ。↓これが新しい本館のデザイン。このデザインと田根剛氏に決まった経緯が知りたいものだ。新本館デザイン案は多田美波さんのフロントシャンデリア、ゴールドローズにも呼応するデザインかな、と感じる。実はこのゴールドローズこそ、東洋の宝石とも言われたライト館オマージュであり、帝国ホテルのヘソ、紐帯かもしれないなあ。↑下から覗くと大輪の黄金の薔薇に見える。ところで、ライトの本館取り壊しに関しては世界中から二千通超えの中止を求める手紙が届き、外交問題に発展するかの騒ぎとなったという。そういう意味では幸福な時代を生きたホテルと言えるかもしれない。今の時代なら取り壊しはできなかったかもしれないですね、と尋ねると、案内の荒川氏はうーんと考え込まれていた。↑小柄でごく普通の方だけど、ミスター帝国ホテルとも呼ばれているらしい荒川氏現在本館で、唯一ライト館時代の大谷石レリーフと彩画の残る壁を有したインペリアルバーも後6年で取り壊しになる。その前に一度はここでカクテルを頂くのも歴史好き、建築好きには大きな喜びだ。その時に注文したいのがティンカーベルという創業100年記念のオリジナルカクテル。ある時、ここを訪れた年配のアメリカ人男性がなぜこの名前をカクテルにつけたのか尋ねたそうだ。彼はティンカーベルを注文し、その場でサラサラと紙にスケッチ鉛筆でティンカーベルを描いた。彼の名はマーク・ディビス。ディズニー映画のアニメーターで、ティンカーベルキャラクターを描き、当然アニメピーターパンにも参加していたという。驚くことにその後彼はアメリカから丁寧に仕上げたティンカーベルの絵をホテルに贈った。ホテルの百周年を祝う言葉を添えて。インペリアルバーではディズニーアニメで大きくなった人びとにも幸せの魔法がかけられそう。ティンカーベルというカクテルと共に。ところで、あの柿ピー発祥もこのバーだった。戦後の占領時代、物価高騰への苦肉の策だったという。お話をうかがうと、今の時代にも大きな示唆を与える事だと勇気が湧く。無いもの、困ったことに直面したら、意外なものを組み合わせる工夫とアイデアで、更に付加価値を高める。根底にその組織への愛があるから湧き出すんだな。