4月の小田原へ 読書会のみんなで
2025/05/31/土曜日/うすら寒い雨ふりそぼる4月半ばのお散歩日和の美しい日に、小田原に引越したメンバーの案内で歩く。お城→小田原城のお堀、桜は辛うじて残っていた。お堀を渡ると元小学校校庭広場を抜けて旧図書館の思い出を聞く→一つの地域が、優れた図書館館長の元、どんな風に発展していくのか。多くの市民の暮らしをどのように豊かにしていったか。故郷を誇らしく感じられるか。行政に関わる人にはぜひとも聞いてほしい話。隣接する報徳二宮神社→初宮参りのご家族もちらほら。知人もその娘さんもやはりここにお参りしたのだ。ご祭神は二宮金次郎翁!石碑に金次郎の格言、「経済のない道徳は戯言。道徳のない経済は犯罪」を仲間が後から指摘してくれた。私もまた、初めてこれを見て、江戸末期の貧しい農村青年が抱いた感懐の近代性に感じ入ったのだった。さて、ここから目指すのは我らならではの小田原文学記念館元は田中光顕別邸。建物は南国ヴィラ風コロニアル?全体的に質実剛健で士族出身らしさ滲む。唯一感心したのは屋根瓦と外構タイルの色目土佐勤王党の彼は寺田屋事件のとき、いち早く現場に駆けつけたとか。明治天皇すり替えについて晩年に発言したとか。その一件が半ば信用されるのは、知りうるポジションにあった、という事なんだろうと想像する。屋上テラスのペントハウス風小部屋には赤い鳥復刻版が設置してあり、閲覧できた。みな、夢中で見入ってしまう。このセンスの良さはどうしたことか。↓絵も作家も一流の揃う大正ロマン1.2階フロアでは小田原に関係のあった作家や地元文人の作品や原稿資料が見られる。戦前の小田原には多くの文人、文化人、実業家が揃った。関東大震災で壊滅的な被害を被り、そのムーブメントは下火になったか…北原白秋も被害にあったが、彼の足跡は大きい。↑田中光顕別邸和館は現在、北原白秋童話館として運営されている。表洋館はいかにも応対するため裏和館はいかにも家族の寛ぎのため↓展示されていた北原白秋"木兎の家"敗戦直前に亡くなった北原白秋は幸運だったかもしれない。戦後には表現者としての戦争責任を追求されたやも…藤田嗣治のように。およそ芸術に身を投じる人が何で好んで戦争、しかもアジア独立を謳いながらその実態は侵略の戦争、を進んで賛美するものかは。戦利品を得る事に狂喜乱舞した大衆、万歳を連呼した大衆は8.15を境に一億総被害者に態度を豹変して恥じない、その事を忘るべからず、である。そんな事をつらつら考えながら木兎の家、と名前を付けた白秋の小さな茅葺き小屋の模型をしみじみ眺めいる。本宅もこの小屋も今はない。その中で確かに楽しい団欒はあったのだろう。ここで、白秋は童謡の半分ほどを創作したというのだから。私たちはその後、外郎やさんに立ち寄りめいめい買い物をした。申し出れば、蔵の中の見学もできる事を知った。外郎売の歌舞伎との縁がずっと繋がっているなども興味深い。その後遅いお昼ご飯はだるま食堂へ。文人仲間の小田原訪問では何はともあれ、だるまへと言われた、知る人ぞ知る食堂である事を文学館で知って、案内者に是非にと頼んだのだった。まさに食堂、の風情と働くおばちゃんがきびきびと清潔(^^)自前の新鮮なネタ、小さめシャリ。早川の漁港にもお店があるらしい。