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虎魂悼罪

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2014年06月24日
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カテゴリ:戯言
○W杯(その2)

W杯が世間でそれとなく話題に上がる中で、ネットでひとつ気になるワードでちょっとした議論になってた。
ようするに世の中に「にわかサッカーファン」なるものが増えてて、古くからのサッカーファンから失笑の目で見られてるんだとか。

うむ、実にくだらない議論だ。

そもそも何を基準にしてニワカと真性ファンの線引きをしてるんだろうか?

メディアがここぞとばかりにゴリ押しでW杯を取り上げて騒ぎ立てるのが真性ファンから言わせると薄っぺらくて目に余るようだ。
オレから言わせてもらえるなら、ネット上で日本の敗戦に対して、やれ「戦術が悪い」「システムが~」「監督の采配が~」「あの選手を外せ」的な論調で、さもサッカー通の如く批判から入る自称サッカーファンなんぞ全員ニワカである(笑)
というより、むしろ普段はサッカー興味なくてもW杯期間中だけでも早起きして試合見たり夜更かしして試合見てる人達の方が純粋に「あぁ、日本戦に興味あるんだな」「早起きしようと思えるくらい応援する気分ではあるんだな」と思えるので、選手からすれば後者の方がファンとしてありがたかろうと。
というかね…システムや戦術なんてのは総じて全て結果論なんだよ。

純粋に日本人だから日本代表を応援したいというだけのシンプルな感情を否定する理由がよくわからん。

そんなオレはW杯は小学生の頃からドイツを応援するスタンスを貫いてますが。
だってオレがサッカー見始めた頃は日本はまだW杯なんか縁がない国だったし…

あんだけ世界中が熱くなれるスポーツの大会なんかそうそうないだろう。くだらん論争するより単純に乗っかって楽しんでる方が賢いとは思わんかね。
いいと思うよ?「あの国のあの選手カッコいい」とか、その程度でも。誰だって興味を持つ最初の動機なんてのはその程度だ。



○ピアノが弾きたい


最近、猛烈にピアノが弾けたらなぁ…と思った。
オレの同級生がオペラ歌手やってんですね。
普通のオペラだけじゃなく、オペレッタとかコンサート的な事もやってて俺もたまに呼ばれたりして行く事があった。
この前、久しぶりに日暮里で公演があって見に行ったんだけど、出演者がそれぞれ何曲か歌って、後半は短編オペラみたいな。
その中で、まぁグランドオペラならオーケストラが入るんだろうけど、小さなホールの公演だから演奏はピアノなんですね。
んで、その時のピアニストが若い男性で、年の頃は多分オレより少し若いか程度だと思うんだけど、前半でピアノソロをやってたんですよ。
曲目はドビュッシーのアラベスク第一番。
曲は何度か聴いた事あるけれど、その時に聴いたアラベスクはオレが知ってるのとは何か違った。

俺は音楽をやらないので詳しいことはわからないけれど、ピアノって同じ楽譜でも弾く人の感情とか細かいアクセントで全然違う曲になるよな。
そしてCDとか音源だけじゃなく、目の前で演奏してる人間も含めた音と映像として見ると、また全然違ったエンターテイメントになる。
多分、そういう意味でクラシックの曲って、単純に音楽としてだけじゃなくて、その曲を生んだ作曲家であったり、生まれた時代背景だったり、そういう歴史も含めて一つの作品として唯一の価値を持つんだろうなと。
ショパンの曲は亡命したショパンの望郷の念も含めて一つの曲なんだろうみたいな。
…まぁオレ音楽やらんから勝手な推測だけど。

とまぁ、そのピアニストの弾く曲を聴いて、見て、単純に「俺も好きなようにピアノが弾けたら気持ちいいだろうな」と思った次第。
実家にはピアノ一応あるんですけどね。もちろんグランドじゃなくアップライトのやつ。
昔オヤジが職場の同僚の娘が使ってて不要になったのを貰えるとかで、妹が年長さんくらいの頃に貰ってきて妹に弾かせてた。
妹も近くのピアノ稽古教室みたいなのに通ってて多分それなりに弾けるはずだけどね。
ピアノで思い出したが、そういえば中学時代に音楽室のピアノで友達と遊びで耳コピーで『リゲイン ~勇気のしるし~』を練習して弾いてたりしたな。
もちろん両手じゃ弾けないので片手…というか片指で弾いてたが。
というか今思えばリゲインのテーマも凄い歌詞だよな。「24時間戦えますか?」なんて今の時代で歌ったら確実にブラック企業呼ばわりだよ。





○女性議員へのヤジが思いのほか大問題に

まぁヤジは古くからの日本国会や議会の風物詩ではあると思うんだが、最近の国会のヤジはヤジというよりディスりだったり、ジョークにもなってないレベル低いのが多いなとは思うよね。
ヤジに対する切り返しもないし。
俺はヤジとそれに対する切り返しは政治テクニックの一つだと思ってるし、飛ばすタイミング、フレーズなども含めてセンスが問われる高度な駆け引きだと思ってるけれど、最近のヤジは単なる罵声で稚拙だよな。

三木武吉という大昔の自民党議員やハマコーはヤジを巧みに入れて、それを中継を見てる国民に対するアプローチとして使ってたように思うよ。


「次のお焼香の方、どうぞ」とか「ダルマは9年だ」とかは有名だけど。


・三木の切り返し

~その昔、総選挙の演説会場にて~



対立候補:「名前は言わないが家賃を2年分も払っていない。米屋にも、1年以上支払いを貯めてる候補がいる」

三木:「その借金がある貧乏候補とは不肖この三木武吉であります。正確には米屋は1年じゃなく2年。家賃は3年以上待って頂いております。数字の間違いはここで正しておきます」

会場は拍手と爆笑。「えらいぞ!借金王!」の野次が飛ぶ。


会場に来てた貸主の米屋「皆様、どうか三木先生を宜しくお願いします」



~選挙前の立会演説会~


「ある有力候補のごときは妾を4人も持っている。そんな不徳者が国政なんかできるのか」


三木:「ある有力候補と申したのは、不肖この三木武吉であります。」


会場:「またお前か!」

三木:「なお、正確を期さねばならんので数字的間違いをここで訂正しておきます。妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。今はみな老いて役には立ちませんが、これを捨てるのは不人情。ゆえに今も養っておるのであります」

聴衆から拍手喝采。「えらいぞ!」「男の鏡!」の野次が飛ぶ。




大体ね、議員だろうが一般人だろうが女性に対して「産めないのか」って発言は、もはやヤジ通り越して人格否定であり差別発言に近いだろう。
まぁ、このたとえがいいか悪いかは知らないけどね、たとえば既に結婚もして出産もして子供も育ってる年配のオバサン議員が出産や結婚に対しての質疑してる時に「あんたが生め!」ってヤジが飛んだらさ、「このトシじゃもう生めません」となるしジョークにもなるだろう。
でも相手の女性議員、30半ばで独身でしょ?もし本当に身体的問題で産めない体だったらオマエそのヤジの攻撃性がいかほどかわかるのか?と思うわけ。
あれはヤジじゃないよ。
同じ男から見て、ああいうことを言えてしまう男の心理を考察するに、なんともしょーもなく小さな男に対する嫌悪感しか沸いてこない。
普通に考えれば、男が女に対して触れる話題として出産や結婚がアンタッチャブルな分野であることくらい認識してるはずだろう。




○猫がついに俺に心を開いた


随分前に職場の近くに住む野良猫にオレが餌付けをしてるみたいな記事を書いた気がするんだけど、実はその後も地道に餌付けはしてました。
いつも大体同じくらいの時間に店の裏の洗車場のあたりを巡回に来る猫。
オレが弁当のオカズとかを放り投げると食べるけれど、決して一定距離以内には入って来なかった。

その後しばらく姿が見えなくなってた時期があったのだけど、しばらくすると戻ってきてて、俺は相変わらずオカズの切れ端とかを放り投げては観察しつつ、たまにちょっと接近してみたりするんだけど、やはり射程範囲に入ると逃げ出す。
これはきっと人間の男女の関係に似てて、追いかけると逃げるけれど、関心を示さないと近寄ってくる…みたいな事なんじゃないかと作戦を変更。
以後、俺からは一切の接近をしないことにして、オカズも意図的に投げはするが、その後の観察はせず視線も合わせない作戦に変更。
視界の端では常に猫を捉えてはいるが、視線は携帯だったり本だったり。
そんな事を数ヶ月ずっと続けてたのだけど、一昨日くらいに、数日振りに登場した猫。
いつもならオカズを投げると咥えて即座に距離を取るのだけど、その日はその場で食い始めた。
なんか様子が違うので、今度は手の平に唐揚げを載せて接近。

かなり警戒はしてるが距離はそのまま。その場でしばらく座り込み、ジッと待つこと10分くらい。
おもむろに猫が近寄ってくるが、途中でまた止まる。
「ほれ」というジェスチャーで誘うと、ゆっくり近寄ってきて直前で素早く唐揚げを咥えて去っていく。

ついに手の平から直にエサをやることに成功。
多分まだ俺を完全に信用はしてないと思うけど、一度でも「手の平からエサを貰ったことがある」という実績があれば、それが信用に変わるだろう。
あの一つの行為でオレがあの猫から得た信用は大きいはずだ。
少なくとも攻撃射程範囲に入っても攻撃してこなかった人間という認識はされたはず。

今後の夢は膝の上に乗せることだが、飼い猫ならいざ知らず野良猫でそこまで警戒を解くことはなさそうではある。
多分そこが衣食住が完備された飼い猫と、自力で生き延びていかなきゃいけない野良猫の誇りというかプライドの差だろう。
「施しの対価で飼いならそうなんて俺様をそこまで安く見るんじゃねーよ」みたいな目つきをしとりました。
まぁ人に全く無警戒で野生の本能すらない猫を飼いならしても面白くは無いし、これは俺とその一匹の野生の猫との心の対峙なのである。






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最終更新日  2014年06月25日 03時49分11秒
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