感田宿ノ口丹兵衛墓
感田宿ノ口の「柴田丹兵衛墓」です。すぐ近くのお客様のところに寄ったついでに撮りました。 享保18年(1733年)参勤交代の帰路,長崎街道木屋瀬宿まできた肥前島原藩の殿様一行は、大雨による増水のため彦山川店屋の渡しを渡ることができませんでした。当時多くの大名は藩財政が火の車で、滞留すればそれだけ経費がかさむので柴田丹兵衛という家臣が一行の渡る事ができる浅瀬を探して瀬踏みをしているうちに川に流され溺死し、その遺体が流れ着いた感田村の人たちが悼んで墓を立てたということです。 柴田丹兵衛の墓は、おこり(マラリア性の熱病)を治す、更には子供の成長に霊験があるそうです。