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カテゴリ:東日本大震災
先日、原子力損害賠償支援機構(以下「支援機構」)が主催する出張相談会のため、福島県郡山市にある仮設住宅に行って来た。原発事故で、街の大部分が帰還困難区域、居住制限区域に指定されている富岡町。文字通り、故郷を失った方々が入居されている。
指定された時間の新幹線に乗ると、郡山駅改札では、タクシーの運転手さんが待っていて、道順については何も指示しなくても、相談会場の仮設住宅まで連れて行ってくれる。 静岡からこの仮設住宅に辿り着くまでの交通費は、支援機構が負担する他、わずかながら日当も出る。 会場となる仮設住宅の集会所では、支援機構の現地職員さんにお出迎えいただき、予約の状況、時間割などにつきレクチャーを受ける。 机の上には、既に、東電から送付されている賠償関係の書類の資料、原子力損害賠償紛争解決センター(略称ADR)の和解統括基準、和解事例等が綴られた分厚いファイル等、相談に必要と思われるあらゆる資料が並んでいる。 相談中も、話の流れで「ADRの申立書、サンプルありますかね」と職員さんにお声掛けするとさっと出てくる。飛び込みでの相談希望、早く来すぎてしまった方の対応も職員さんがすべてして下さる。弁護士は、弁護士にしかできない本来業務に集中できる体制ができている。 至れり尽くせり。勉強さえしっかりしていけば、手ぶらで会場に行っても、何も困らない。無駄のないてきぱきとした運営に非常に感動した。 私がここまで感動するのは、平成23年4月~平成23年12月頃までの弁護士会がボランティア弁護士を募って、独自に派遣していた時期の派遣責任者の一人であったため、「被災地への弁護士派遣」という事業が、どれほどの労力を有するものかを肌で分かっているからである。 広報ができない当然の帰結として事前予約を取れない状況の中、どれくらい資料が必要なのかも分からないまま、住民のニーズが多い場合に備えて、派遣弁護士に毎回必要部数の印刷までお願いして持参いただく。当然、荷物は大部になる。 開催場所も現地の状況がよく分からないまま手探りで決めていく。直前まで情報収集しても、行政との連携もできていないので、仮設住宅の建設状況もよく分からず、すべての仮設住宅を網羅するなんて夢のまた夢だった。これほどの労力をかけても、住民がほとんど集まらず、関東一円から頼み込んで行っていただいた弁護士に平謝りなんてことも何度となくあった(私、未だに、足を伸ばして寝られる方向がありません・・・)。 唯一、南相馬市にだけは、体系的・網羅的な派遣が可能となった。ひとえに、南相馬市に、弁護士派遣受け入れに非常に熱心な職員Sさんがいらして、広報、資料準備のすべてを担って下さっていたからである。毎週、何十人もの弁護士に南相馬市各地に行っていただいたこと、今でも感謝の思いで一杯だ。皆様、本当にありがとうございました。 ただ、南相馬市派遣が成功していた時期も、本当は、他の市町村にも派遣しなければいけないのに、といつも忸怩たる思いでいたこともまた事実である。 もっとも、この南相馬市派遣がモデルとなって、平成23年12月頃から国の組織である支援機構が、弁護士派遣事業を国費で担ってくれるようになったのだから、南相馬市派遣がうまくいったことは、単に南相馬市にとどまらない波及効果があったと評価して良い。 支援機構が主催する派遣は、当初は、運営に混乱も見られたものの回数を重ねて行く毎に、支援機構、弁護士会、双方の運営努力もあって、1年半経った現在では、先に述べたようなスムーズな運営が確保されている。現在も定期的に、支援機構と弁護士会との間で情報交換の機会をもうけ、よりスムーズな運営ができるように、双方が努力している。 ところで、支援機構派遣については、「原発事故の責任は国にあるのに、その国から弁護士費用をもらうなど、言語道断」といった論調もあるようだ。日本における弁護士という職業の歴史的背景(長くなるので割愛)を考えれば、国家権力との関係では、常にアンテナをぴんと張り、緊張感を維持していなければならないのは当然だと私も思う。 ただ、だからといって「国からお金をもらう」=悪巧みに荷担すると考えるのは、いかにも早計だ。 弁護士会やその集合体である日弁連が、独自の有り余る財源を持っているならともかく(私は、3億円の当選金があるという宝くじがあたらないか、本気で考えたことがありました(^^;))、そうではない以上、善意がいかに潤沢にあってもそれだけでは、結局、被害者のために役立つ活動ができないのだ。 一年足らずのボランティア派遣に関わった私の素直な実感であり、教訓でもある。 目的は、被害者に情報を届けることであって、弁護士の自尊心を充足させることではない。 また、原発事故が国策の結果であるならば、原発事故の被害者救済もまた国が率先して取り組まなければならないのではないだろうか。国賠訴訟の被告席に座ることだけが国の仕事ではあるまい。 数十万人にも上る被害者救済を、緊張感と保ちつつ、役割分担をしつつ、官民一体となって取り組むことこそが大事であって、国費を出すことそれ自体を批判の矛先とすべきではないというのが私の意見である。 支援機構派遣には、今なお、多くの弁護士の献身的な協力を得ている。是非、今後もご協力いただき、被害者の孤独感、絶望感に向き合っていただきたいと思う。次の記事では、今回の派遣で被害者に接して私自身が感じたことを記憶が薄れないうちに書いておきたい。 続きはこちら↓ http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201305270001/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.05.28 04:42:31
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