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バス停地名学のすすめ

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2008.04.08
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カテゴリ:東大和市
バス停データ
◆所在地:東大和市 ◆路線:都営バス[梅70]系統他

みなさん、こんにちは。

東大和市駅に到着したバスは、駅前のロータリーに入り、1番乗り場に停車します。柳沢駅から数えて32番目のバス停で、ようやく全行程の約3分の1を消化したことになります。第181回「中宿」の項でご紹介した通り、[梅70]には小平駅始発の乙系統の他、青梅車庫~東大和市駅間の折り返し便もあり、東大和市駅の時刻表を柳沢駅と比べると、運転本数はほぼ倍に増えています。

駅前ロータリーを発車したバスは、青梅橋交差点から北西に向きを変えた青梅街道をゆっくりと進んでいきます。箱根ヶ崎から田無までほぼ一直線だったはずの青梅街道が、北西に向きを変えるのはおかしいと思い調べてみると、かつては東大和市駅から西へ延びる桜街道(江戸街道)が旧来の青梅街道の道筋だったことがわかります。江戸期から昭和初期にかけて、青梅橋から約6キロ西の残堀地区にかけては道の中央に桜並木が続き、俗に千本桜と呼ばれた名所でしたが、戦後になってその面影も消滅し、現在は桜街道の名のみが往時を偲ばせています。地図で旧道筋を辿っていくと、日産自動車村山工場跡地や米軍横田基地などで寸断されてしまっている様子を知ることができます。

駅からしばらくの間、青梅街道の両側は南街(なんがい)地区の商店街となっています。東大和市の玄関口に位置する南街は、もともとは現在の桜が丘地区にあった日立航空機立川工場に勤める従業員の社宅用地などとして開発された場所で、昭和13年に大森から移転してきた同工場では、戦闘機のエンジンなどを製造していました。

南街を抜け、東大和市役所入口を過ぎると、新青梅街道との交差点に近い、庚申塚バス停に到着します。

(次回へつづく)

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最終更新日  2008.04.08 22:59:58
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