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バス停地名学のすすめ

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2008.04.10
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カテゴリ:東大和市
(前回からのつづき)

バス停の他、新青梅街道との交差点名も奈良橋庚申塚といいますが、残念ながらこの地に既に庚申塚(塔)らしきものはありません。昭和42年、ここから約1キロほど北の狭山丘陵に面した雲性寺に移設されたといいます。ちょうど新青梅街道が開通する直前の頃なので、道路工事に伴い移されたのでしょう。庚申塚の名のみが、この周辺の俗称として残されています。

交差点角の交番の裏手から細い道をぶらぶらと歩いていくと、やがて空堀川に架かる砂の川橋に出ます。「空堀川」と「砂の川」という同義的な組み合わせは興味深いですが、水量の乏しい川だった歴史を物語っている地名かと思われます。渇水しやすい反面、こうした川は大雨による氾濫も多かったはずですが、現在は蛇行部分を直線化する改修工事が断続的に行われているようで、砂の川橋のすぐ下流部分でも、開削されたばかりの新しいコンクリート水路が、通水を待つのみの姿で東の方向へ一直線に伸びています。

空堀川に沿って青梅街道に戻ると、そこに架かるのが庚申橋です。すぐ北隣りには、先ほどの通水前の新水路に架けられた新庚申橋があります。コンクリートの川床が丸見えの、文字通り「空堀」状態のところに、大きく「空堀川」の標識が立っているので、思わず笑ってしまいそうになります。

青梅街道を少し歩くと、左手に[梅70]のねぐらのひとつ、大和操車場が見えてきます。東大和市は、もともとは大和村(昭和29年から大和町)と称していましたが、昭和45年の市制施行時から、「東京の大和」の意で東大和と改称しました。大和操車場は、旧称「大和」の名を残しているという意味で、貴重な存在かもしれません。

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最終更新日  2008.04.11 01:19:54
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