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カテゴリ:ちょっと考える
U2の、むかーしの、曲ですね。 これって邦題なんだっけ。 最近はラジオでも英語を話すDJが多くて、 さらさらっとオリジナル・タイトルを紹介したりする。 で、時々、困ったりしますね。
とにかくまあ「自分が探してるものが何なのか今もわからない」と。 「自分の求めるものが見つからない」と。 つまりは、 「何したらいいのかわかんない」ってことであり、 ひいては 「いい年こいて甘いこと言ってんじゃないよ」である。
はい、すみません。甘いです。 甘い甘い私です。
別にアンテナ張ってる訳じゃないのだけれど、 ラジオ聞いてるとこういう文句が耳に入ってくるし、 何か読んでるとその手の文章にぶつかったりする。
堀江貴文氏は、いみじくも、 「面倒なのは、『何がやりたいのか分からん』というものだ」 とおっしゃってます。 そんなの考えるのは「暇だから」だ、とばっさり切る。 正しい。 そう、本を読む暇もラジオ流す暇も、しっかりあるから、余計なこと考えるのよね。。。 さらに堀江氏、 「暇なら暇らしく、本能に従って正しく生きればいいと思う」と。
正しい。
「ダラダラ遊んでりゃ、そのうち何かに出会える」。出会えないまま死んでいくのもこれまた人生、と。それまた正しい。
正しいんだけれど、ここにちょっと,困ったことが。 堀江氏のように機知に富み機転も利く人の場合にはなんら問題にならないに相違ないが、 凡人の場合、 「ダラダラ遊んでいる」と、遊興資金がそのうちに尽きてくる。尽きたとき死ぬならいいんだが、まだ余命いっぱいある時に底をつくかもしれない。
そしてさらに問題なのは、 「やりたいこと」が見つかっても、それが「ダラダラ遊んでる」のとさして変わらない(ように見える)場合である。
そしてさらに面倒くさいのは、 「自分のやりたいこと」が、「自分のやるべきこと」なのか、 さらには それらが「自分に向いていること」なのか、 その見極めが甚だもって難しい、ということである。
こんな面倒なこと、前は考えてなかったんである。
向いてなかろうが何だろうがやっちゃえばいい、という考え方もある。 正しいと思う。 やっちゃえばいいんだ、と思う。 実際自分、これまでそれでやってきちゃった感じがする。 だからこれまで、こんなこと、そんなに、考えてなかったのである。 これが年齢か… と、いやまたそこに持っていくなと。 だけど若い頃は確かに、「生活」ってもんがそこに入り込んでこなかったというか、あ、いや、私の場合、今でもかなりに入り込んできてない気はするんだけれども。
ヨガ仲間のひとりが近頃たびたび口にする。「私にもああいう時期があったわ…」 遠い目で言うのである。 ひたすらヨガが楽しくて突っ走ってた時期があった。この先にまだまだいろいろ未知の世界が開けている気がして、ひとつやると別のものが見えてきて、さらに枝分かれして、あれもやってみたいこれもやってみたい、あそこにも行ってみよう,向こうまで行ってみよう、と。 思い立ったら可能だった。 若かったのね私たち・・・ そして実際、「生活」を顧みなくてすんだのだった。 お金もなんとかなってたからね。
その時その時では、清水の舞台に立った気分もあったけれども、 意外に清水の舞台は低かった。飛び込んでも怪我しなかった。
しかしバンジージャンプを繰り返してると、足首に跡もついてきたりするんである。足首痛くなったりするんである。 足は地に着けるべきなんじゃないか… という気にもなるんだなあこれが。 ということを、もしかしたら考えだして1年くらいになるんだろーか。 相変わらず決断力がない私であった。
ホリエモン氏は、 「幸せだなあ」と思ったら素直に喜んでいい、と。
喜んでます。 素直に喜んでおります。 幸せだなあ。 幸せ者だと思うんだよ。
だからいつまでたってもこれなのかな。 不幸なら(不幸だと思ったら)、もっと積極的に動くんだろうな。 甘いんだな。 結論も、いつになっても、同じだなあ〜 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.11.08 20:39:19
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