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カテゴリ:ヨガ
という訳で、わたしの周りのすごい人シリーズ 。 実のところ、すごいひとエラいひとというのは、 けっこう地味に地道に存在してたりするもので、 それに気づくたびに「おおっ」とか「わあっ」とか思って、 そのたびパチパチ讃えたいと思うのですが、 時間は有限。それを有効活用できないものだから、 私の周りのすごいひとリストはどんどん膨らんでいくばかりなのでありました。 で、リストはどんどん順送りになってくもんで、 かつての感動は後回しになってしまうのだった。 猫が目の前に差し出された猫じゃらしに飛びつくのと同じで、 ついつい、今あったものに反応してしまうわけです。
で、今回の話。 仮にA子さんといたしましょう。 ヨガ友のひとりであります。 あくまで話のついでに言うが、美人です。 ヨガをする身、外側にあるものはあくまで付随物・付帯条件、 だけど、持っているものの質が高いにこしたこたーない。
その美しいA子さん(これは他のヨガ仲間にも共通することではあるが)は 探求の人でもある。そういう点でも美しいでしょ。 アーサナ面でもすごいんだが、知識もすごい。 深さのみならず幅広さもすごい。 そのすごい人が、さらにここに来て、ひそかに飛躍してたのです。
人が次の段階に進むときって、やっぱり何かしか、引き金になるものがあるんだと思う。 彼女は去年、 手術をしました。 それが 「体&心を見直すきっかけ」になって、 「アーユルヴェーダとヨガの取り組みがずいぶん変わりました」という。 「その時期が来たとばかりに不思議と全部繫がった感じ」 であると。
アーユルヴェーダ… 私も関心は持っているんですよ。一時は真剣に学ぼうとも思ったんですよ。が、実践も実習も伴わなかったの。先生(たち)には申し訳ないのだが、負けた。 世間に負けた訳じゃなくて自分に負けたんですが、 だからいまだに昭和の人間枯れすすきである(すみません、意味わからないと思いますっ)。 続いてるのは朝のタンクリーナーと白湯(それも厳密には間違ったやり方)くらいなもん。 「いいことはわかってるんだけどね…」ってやつね。この辺で凡人は落伍してしまうのだ。
A子さんの実践ぶり。写真見てびっくり。美しいボトルの列。 とはいえ彼女にしても、かつてはなかなか習慣にならなかったらしいのだ。病気と手術が実践につながった。やっぱり時期って、あるんだね・・ さらにヨガの面でも。
もしかしたら自分の求める方向が定まったのかもしれない。 「変化の時期」が来てる、と、本人も言っていたけど。 しかもそれが、「生まれ変わったくらいの変化」だというのだ。
それが如実に、出てきてる。 進歩に加速度ついてる気がする。 で、それを、静かにやってるんだよね。そこも美しい。もう、根っこは、「美しい」ですな(笑)。 喧伝するわけでもない。宣伝するわけでもない。
A子さんと、私の謎にすぱっと答えを出してくれた若き私のグル(笑…本人はいい迷惑だろうグル呼ばわり)も、共通するのは、意思。自分の、意志。 ぶれない。いや時にぶれるのかもしれないけれど、 とにかく自分の意思で動く。
ヨガが人生の一部と化してしまった点ではみんな共通なのだけど、 どういうふうに取り入れるか、取り組むかは、全員それぞれ違う。 それは自分で決めるべきで。 というより、自然と決まって来るはずで。
彼女たちはしっかりもう、決まったんだろうな。 もうちゃんと見えてて、 揺らがない。
そうなのである。若きグルに言われたの。「変化することを恐れないでくださいね!」 はいっ!
返事はいいのね。返事はいいんだけど、 動けよー。 流されるんじゃなくて、動けよー。 あーもー、年食ったのに変わんないな〜。 いや自分の話じゃなかった。とにかく、パチパチなのです。 キラキラしてる人を見てるのって、やっぱり、良い。
うん、ほんと言うとさ、それだけで幸せだったりするんだよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.03 09:18:22
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