これで終わりではない
集中治療室のベッドで目覚め気管切開で人工呼吸器につながっていることを知ったとき、高位頸髄損傷であることを知らされたとき、脊髄損傷の悲惨さを思い知ったとき、どん底を味わいました。まさにどん底ですが、ここが終点ではありませんでした。3ヶ月後救急病院を出るとき、人工呼吸器は外れていました。4ヶ月後リハビリ病院を出るとき、電動車いすを操作していました。手関節装具を装着すれば、タイピングもできました。自分の食事を口に運ぶこともできました。ここも終点ではありませんでした。在宅になって、自分なりのリハビリを始めました。人が何かを始めるのは始める理由があるからです。それは義務(しなくてはならない、shall)か欲求(したい、want to)です。可能性(できるかどうか、can)はその後です。現在できなければ将来できるように何かを変えます。リハビリは義務ではありません。回復したいという強い欲求があって、それがリハビリをしたいという欲求に変わりました。装置や道具が使いこなせるように頭を使い、それから離脱できるように身体を鍛えます。現時点の自分の能力を冷静に評価して、3ヶ月後のゴールを決めます。そこにたどり着くために、毎月のターゲットを決めます。そのターゲットに合わせて、毎週のテーマを考えます。日々の訓練での小さな気付きを何よりも大事にします。この工夫と訓練からなるリハビリは続きます。人が何かをやめるのはやめる理由があるからです。やめる理由がなければ、それまでと同様に続けます。"力が働かない限り、物体はその運動状態を持続する:慣性の法則 the law of inertia."昨日まで生きていたのなら、今日も生き続けます。死ぬ理由か自殺する理由がなければ生きることをやめません。回復したいと思う限り、リハビリはやめません。回復の終点はどこでしょう?傷ついた脊髄が生き返ることはありません。それがわかった上で、歩きたい、と猛烈に思います。歩行を意味する英単語には、walk, ambulation (ambulate), gait, step があります。stepには、わずかな距離を歩む、特殊な歩き方をする、という意味があります。馬の足行は、walk, amble, trot, canter, gallop の順に速くなります。ギャロップとは、一歩ごとに四足とも地上から離れる最大速度の駆け足のことです。自分の足で歩ければ、それでいいです。リハビリ病院を退院する際に、妻と二人で、達磨の目を片方だけ入れました。願い事や目標については話していません。どちらも具体的なイメージはなかったのでしょう。どこかわかりませんが、そこまで行けたら、「さあ、ショータイム」と見守ってくれる人に言います。「待たせたね 」と妻に言います。