耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。
55: 1 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。 55: 2 なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。 55: 3 耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。 (イザヤ書55章1~3) 神は、渇き苦しむものに向かって叫ばれる。わたしのもとへ出て来いと。力なく弱り果てているものも、わたしから力を得よと。イエスも、代価を払わず魂の穀物、魂のぶどう酒と乳を求めるように、わたしのところへ来るように言われた。心の栄養は、神から来る。心の力は神とともにある。身体の栄養は得るのに容易いが、心の栄養、心の力を得るのはなかなか難しい。見つけることも容易ではない。心の糧になるために毎日働こうではないか。心の力を得るために日々の労働の目的としようではないか。人は生きる生きがいを失えば、生きる力を失い、生きる方向性を見失ってしまう。わたしたちの故郷は天にある。天に宝を積むことに、自分の人生の目標としよう。たとえ地上に富を蓄えても天に宝を置かなければ意味がない。誰もが、必ず一度は死ぬ。誰もその富を天国まで持ってはいけないから。天に宝を積むなら、永遠の父なる神もまた喜び、わたしたちも永遠に生きるものとなれる。 (人気ブログランキングに参加しています。ぜひ下のバナーをクリックをお願いします。) 人気blogランキングへ