ベニーニがよみがえらせた知られざる傑作〜モンテカルロ歌劇場「スティッフェーリオ」
ヴェルディ生誕200年記念と銘打った今年のオペラツアー第1弾。 鑑賞3演目の最後は、モンテカルロ歌劇場の「スティッフェーリオ」。「リゴレット」の前年に作曲された充実した作品であるにもかかわらず、長い間楽譜が埋もれていたこともあり、あまり知られてこなかった作品です。 作品が埋もれていた大きな原因は、物語にあります。主人公はプロテスタントの牧師、その妻が不倫をするが許すというまずもって地味で内向的なストーリー。しかもカトリックのイタリアでプロテスタントの聖職者を主役とし、その妻が浮気し、しかもそれを許す。問題になるのも分かります。加えて主人公の心理劇なので、繰り返しますが地味なのです。 けれど音楽は充実しています。「リゴレット」を思わせる美しい父娘の二重唱とか、何より主人公の葛藤をあらわす劇的な部分がすばらしい。幕切れの許しのシーンはとても感動的です。 日本でも、びわ湖ホールで日本初演があり、タイトルロールの福井敬さんが名唱を披露したのは記憶に残っています。あのころびわ湖ホールでは、ヴェルディの日本初演ものを8作やりましたが、「スティッフェーリオ」が一番、作品として印象に残っています。 地味な作品ながらツアーに入れたのは、作品の魅力もありますが、公演の場所も理由です。モンテカルロ、つまりモナコの歌劇場での公演だったから。ツアーの場合、個人では行きにくい劇場を入れる、というのもひとつのポイントです。 モンテカルロの歌劇場、以前訪れたことはありますが、付き合いでのコンサートだったため、本格的な公演を観るのは初めてでした。 この劇場、カジノの建物のなかにあります。さすがモナコ、というところでしょうか。まあ、かつては劇場のホワイエで賭博をやっていた時代もあったわけなので、筋が通らない、というわけでもないのかも。 モンテカルロ歌劇場、とにかく豪華です。客席は500くらいですが、パリの旧オペラ座の設計者であるガルニエの設計で、お金にあかせてつくった、という感じ。きんきらきん。一見の価値はあります。 公演の舞台はといえば、きんきらきんの劇場と対照的に、内容に応じてシンプル。でもとても充実していました。 モンタボンによるプロダクションは、パルマとの共同制作。パルマではたしか昨年の春にやっています。基本はシンプルで、色彩はモノトーン、場面の雰囲気も作品に忠実な演出。とはいえ動きは制限されていて、ちょっとギリシャ悲劇風?(大げさか)。でも音楽との齟齬はありませんし、とてもわかりやすいものでした。 ラストの場面、スティッフェーリオが、開いた聖書のページに、「罪のない者は姦通した女に石を投げよ」という言葉を見つけて妻を許すシーンでは、天井からひもの先につるされた小石が、その場にいる人々ひとりひとりの頭上にぎりぎりまで下りてきた演出が、いちばん劇的といえばそうだったでしょうか。 キャストは一新されていました。タイトルロールは人気テノールのホセ・クーラ。この役はメトをはじめあちこちで歌っているので、それもあっての起用でしょう。 このひと、素質はあるんです。声の魅力やパワーはとてもあります。ただ、いつも思うのですが、精度が低い。それこそロッシーニとは無縁で、ヴェリズモ的な作品をばんばん声の力で歌っている歌手です。 「オテッロ」のような作品なら、それで通る場合もあります。けれどまだまだベルカントのスタイルが残っている「スティッフェーリオ」では、残念ながらあらが目立ってしまいます。時々咆哮するのも、作品のスタイルにあいません。 とはいえ、声も含めて華のあるテノールなので、カーテンコールの喝采は相当なものでした。 妻のリーナ役のヴァージニア・トーラ。名前は知っていましたが生は初めて。うまくて驚きました。むらがない。悲劇的な表現力もあるし、ちょっと地味ですけれどこの役にはぴったりです。 リーナの父親役のニコラ・アライモ。彼も生ははじめてか、あるいは聴いていても印象がなかった歌手です。けれど今回は彼が一番喝采をさらっていた。うまいし、声量も豊か。ヴェルディのバリトンらしい朗々とした響きが、様式感に伴われて十全に発揮されているので安心して声に浸れます。粗いところがないのです。やはりそれは大事ですね。 リーナを誘惑する貴族のラッファエーレは、ポルトガルのテノール、ブルーノ・リベイロ。彼はパルマの「海賊」を聴いて痺れたテノールです。甘くてちょっとスピントもきいた声。マスクも甘い。その後もそれなりに活躍しているようですが、生で聴いたのは久しぶりでした。楽しみにしていたのですが、歌うところが少ない役なので(アリアもない)、正直なところどんな状態かつかめるところまでは行きませんでした。 けれど誰より素晴らしかったのは、マウリツィオ・ベニーニの指揮です。 序曲からしてあっけにとられました。 とにかく自由自在な音楽。手綱さばきが完璧なのです。 緩急のバランスの絶妙。同じような音型の伴奏の変化のつけかたの見事さ。音色の微妙な豊かさ(そこを勝負にしている作品では全くないのに)。引き付けるところはぐいぐい引っ張って、解放するところは解放する、でもそこにもちゃんと音楽が、その音が形作るドラマが鳴り響いている。そう、すべてがドラマ。それがヴェルディです。初期であっても(「スティッフェーリオ」は中期ですが)。それがほんとうによくわかっているので、すべての音に命と色彩があるのです。 劇場が小さかったのも、鳴りの迫力を体験できた理由かも知れません。けれど何度か聴いたこの劇場のオーケストラがこんなにうまかったか、と思えたのは、やはり指揮者の力でしょう。 ベニーニ、巨匠です。