バッハの「モナ・リザ」
今年2回目の「バッハへの旅」も、無事に全行程を終了。 ライプツィヒからスタートし、バッハの暮らした小さな街をめぐり、 さらにベルリン、ドレスデンへも足を伸ばして、(駆け足ですが)ベルリンフィルの定期公演と、ドレスデン国立歌劇場(ザクセン州立歌劇場)の「フィガロの結婚」プレミエを鑑賞するなど、盛りだくさんの旅でした。 (オマール・マイアー・ヴェルバの指揮が素晴らしかった「フィガロ」については、また時間のあるときにブログにあげようと思います) さて、とはいえ、「バッハへの旅」ですから、締めくくりはもちろんバッハです。最後の夜に聴いたのは、ライプツィヒ・バッハフェスティバルのファイナルコンサート「ロ短調ミサ曲」。ドレスデン出身で、ドレスデン室内合唱団を創設するなど古楽の合唱の分野で活躍してきたハンス=クリストフ・ラーデマンの指揮、ヘルムート・リリングが創設し、現在はラーデマンが率いているゲッヒンガーカントライシュトウットガルト&シュトウットガルトバッハコレギウムの演奏でした。縦の線を生かしたやわらかいリズムは快く、大胆なデュナーミクを駆使して一体感にみちたクライマックスを築く合唱は圧倒的で、胸打たれた名演。ソリストではテノールのダニエル・ヨハンセンの、ペーター・シュライアーを思わせる美声が印象的でした(たしか彼はエヴァンゲリストを聴いていて、その時も感心した覚えがあるのですが、どこでのことだったか思い出せずに残念です)。 今回の演奏は、昨年Carus社から刊行されたばかりの新しい校訂版「シュトウットガルト バッハ版」を使用したそうですが、プログラムや、同版を使った新譜のCDの解説などによると、バッハの自筆スコアに見られる次男のカール・フィリツプ・エマヌエルの書き込みなどを取り去ったものだそう。さらに、この作品の前半をドレスデンの宮廷に献呈した時の、いわゆる「ドレスデン・パート譜」も取り入れたヴァージョンだそうです。とはいえ、その版を見ながら聴いたわけではないので、細かなところは確認できずじまいでしたが。。。 「ロ短調ミサ曲」は、バッハの辞世の作品(最後に書いていた作品)であり、集大成であり、かつ生前に上演されていないなど、いろいろな謎が残る大作。解説の材料にも事欠きません。プログラムの解説(ミヒャエル・マウル氏)によると、最晩年、バッハが具体的な上演の可能性を考えて手を入れた可能性があり、上演の場所はウィーンのシュテファン大聖堂だったかもしれない、とのこと。関係団体から上演の依頼を受けた可能性があるということです。バッハがもう少し生きながらえていたら、ひょっとしたらウィーンで「ロ短調ミサ曲」が上演されたかもしれない、と思うと、ファンとしてはわくわくしてしまいます。 このブログでも何度か書きましたが、ライプツィヒ、バッハフェスティバルのファイナルコンサートは、「ロ短調ミサ曲」と決まっています。そのことをお話しすると、ツアーに見える方を含め、日本のバッハファンの方のなかには、けげんな顔をする方も少なくありません。バッハの声楽作品(あるいは全作品)の最高峰は「マタイ受難曲」ではないだろうか、という疑問を持たれるようなのです。 日本ではたしかに「ロ短調」より「マタイ」のほうがポピュラーでしょう。上演の回数も多いと思います。その大半はコンサートでの上演で、つまり純粋に音楽作品として聴いている方が大半ではないかと感じます。かつて、「クラシック音楽の最高傑作は「マタイ受難曲」」とおっしゃった有名評論家もいらっしゃったような。。。 けれど、「バッハへの旅」をやつていてつくづく思うのは、受難曲は「聖金曜日の礼拝で演奏するもの」だということです。時季ものですね。クリスマスオラトリオをクリスマスに演奏するのと同じです。日本では「聖金曜日」や復活祭は、クリスマスほどには知られていない。特定の祝日のために作曲される教会カンタータも同じです。その点、祝祭日に関係なくいつも同じ歌詞で構成される、通常文からなる「ミサ」は、より普遍的なのです。いくら「マタイ」が大曲で傑作であっても、6月に開催されるフェスティバルのしめくくりには似合わない。 そう考えると、バッハの死後、「マタイ」が忘れられた(上演されなくなった)のも、自然なことではあるのです。なにしろ、基本的な上演の機会が限られてしまうわけですから。コンサートピースとは違う。「ミサ」のほうが、上演の機会を見つけることは容易です。だから「ロ短調」は、バッハの死後も演奏され続けてきました。 多くのドイツ人にとっては、「受難曲」はあくまで礼拝の音楽です。今回、ベルリンで、オーケストラのヴァイオリン奏者の友人に会った時、その話になったのですが、彼は「マタイは礼拝だから、その時期に演奏を頼まれればなるべく出るようにしている」と言っていました。彼に言わせれば、「マタイ受難曲」のような音楽は「Urmusik」=直訳すると「原音楽」なのだそうです。音楽が、コンサートなどで、それ自体が純粋に鑑賞されるようになる前、自律して存在していない時代の音楽。そう考えると、「マタイ受難曲」を、いわゆる「クラシック音楽」でくくれるのかという気もしたのでした。 逆に、キリスト教徒ではない多くの日本人が、「マタイ」を純粋に、音楽として、(テキストがよくわからなくても)感動して聴く、という話をドイツ人にすると、「とても興味深い」と感心されたりします。今回、ドレスデンで会った劇場関係者がそうでした。日本人の音楽ファンは、それだけ、「音楽」に対する感性が深くて鋭いのではないでしょうか。信徒だからといって、音楽がわかるわけでは必ずしもないのですから。 信仰か、音楽か。両方が理解できれば一番いいのかもしれませんが、そういうひとはきわめてまれなような気がします。バッハの音楽を理解するために信仰の道に進むというのも、邪道のように思えないでもありません。純粋に音楽として接するのも、立派なアプローチなのですし。 とはいえ、日本の音楽生活にすっぽり欠けているのが、「教会」という存在です。だから「受難曲」が時季ものだ、ということが、日本にいるとなかなか理解できない。 私も10年以上旅をやっていて、特に今年は、復活祭の時期とフェスティバルの時期と、2回ツアーをすることができたおかげで、つくづく思い至ったという次第です。復活祭にふさわしいのは「受難曲」であり、音楽の催しであるフェスティバルによりふさわしいのは、より普遍的な形式であるミサ曲のかたちをとった、「ロ短調ミサ曲」なのだなあ、と。 「「ロ短調ミサ曲」は、 バッハの「モナ・リザ」である」 マウル氏は、プログラムの解説文をそう書き出しています。何世代にもわたって人々を魅了し、さまざまな解釈がなされ、秘密がなかなか漏れない、という点で。 バッハの「モナ・リザ」。 音楽の美しさだけとっても「ロ短調ミサ曲」は、そう呼びたくなる作品です。少なくとも、私にとっては。