抽象的に進化した「日本の美」と普遍的なメッセージ〜佐藤しのぶ主演「夕鶴」、来春再演
團伊玖磨の「夕鶴」は、もっとも愛されている日本語オペラです。 1952年に初演されて以来、内外での上演は800回超。原作は、日本民話の「鶴の恩返し」に題材を取った木下順二の戯曲で、山本安英の名舞台で知られました。日本の物語とはいえ、「異類婚姻譚」(人間と異界の者との結婚物語)は世界に普遍的なものですし、「愛」と「経済」の対立というテーマも普遍的です。「夕鶴」が日本のみならず世界で愛されるのは、この普遍性によるところもあるのではないでしょうか。もちろん、美しい音楽も含めて。 私は個人的には、日本人が初めて見るオペラとして、「夕鶴」ほどふさわしい作品はないのではないか、と思っています。周知の物語だし、音楽にも「かごめかごめ」などよく知っているメロディもある。ライトモティフ(=各人物などにあてられたテーマ)もわかりやすい。上演時間も2時間ほどと手ごろで、緊張感も途切れない。何より、日本語が聞き取りやすいのです(実はまれなケース)。これは、オペラ化にあたり、原作の戯曲をそのまま台本に使うことが条件となったためのよう。そのための苦労もあったようですが、結果は大成功だったといえるのではないでしょうか。 そんな名作「夕鶴」が、2年前、ゴージャスなキャストで制作されました。主役に佐藤しのぶさん、というところからまず目を惹きますが、演出が市川右近さん、美術が千住博さん、衣裳が森英恵さんと、各界のトップランナーたちが並んでいたのです。果たして東京での公演は完売となり、チケットを入手しそびれたひとが続出しました。満員の客席が目にしたのは、抽象化された、シンプルな、でも凛々しくて幻想的な舞台。主役のつうはドレス姿(といっても着物の面影はあるものですが)、パネルを活用し、回り舞台が効果的だった舞台は、後方に夕焼けや夜空(月や星も)を投影したり、雪を舞わせたりして、シンプルながら雄弁。世界で上演される舞台に、というキャスト陣の意気込みを感じさせるものに仕上がっていました。 その「夕鶴」が、来春再演されることになり、記者会見が開かれました。 会見場に姿を見せたのは、主演の佐藤さん、指揮の現田茂夫さん(佐藤さんのご主人)、森英恵さん、市川右近さんの4方。「時空を超えた作品。近代能楽的なセットにしました。回り舞台は歌舞伎では当たり前なので、自然に取り入れた」(市川)、「いつかつうを歌ってほしいと團先生に言われていながら、生前は果たせなかった。だからようやく歌えて、約束を果たせた。それもドリームチームで」(佐藤)「つうに洋服を着せたのは、世界に通じるものにしたかったから。メイド・イン・ジャパンの仕事。世界中で上演してほしい」(森)「これまでの「夕鶴」とは違い、ヴィオレッタやミミにも通じながら、この上なく日本女性であるつうを描けた。題材としては普遍的な作品。つうと、欲望に取り憑かれた周囲の人間とのすれ違いは、日常的に起こっていることなんです」(現田)と、それぞれの立場、経験からの解釈、感想が続出しました。 なかでも、佐藤さんの作品への入れ込み、情熱は、言葉のはしばしからひしひしと伝わってきました。震災後の福島でもコンサートを開いたというう佐藤さん、「3.11後の世界で、見直されているものがテーマになっている」という意見もうなずけましたが、いちばん印象に残ったのは、その延長線上ででてきたこんな言葉です。 「福島の言葉で、 「またい」っていう言葉があるんです。大切に、両手で抱くように、真心をこめて、という意味なんですが、今回の再演では、お客様がこの言葉を心のどこかに持っていただけるような、そんな歌を歌いたいと思っています。前回の初演の時はとにかく一生懸命でしたが、今回は「またい」を伝えたい、と。時代や国がかわっても、この想いは伝わるんじゃないかと思っています」 「夕鶴」をご存知の方ならお分かりのように、愛する与ひょうが、「お金」の虜になった時、それまでつうと同じ世界にいた与ひょうは別世界にワープし、つうは与ひょうの言葉が聞こえなくなってしまいます。その場面は「夕鶴」のなかでももっとも印象的な場面のひとつでしょう。「お金」のために犠牲にされてしまう人間の心。それはほんとうに、佐藤さんがいうように、時を超え国境を越えて普遍的です。とくに、「お金」と「効率」ばかりが優先されるいまの時代に、想いをいたしたいことがらではないでしょうか。 「夕鶴」、公演は来年の2月から3月にかけて。全国10都市を巡演します。 http://www.japanarts.co.jp/YUZURU2016/?gclid=CLqFtdzk58gCFYSXvAodJhIDVw