【ショートストーリー】歯車【閲覧注意】
長年の風雨に晒されたその家の外観は見るからにところどころ傷んではいるが今も尚、2人の家人が住んでいる。一人は50代の男。 技術者として将来有望ではあったものの競争を勝ち抜く術を持たなかった彼は社会に使い捨てられた。そんな彼はいつの日か一人で暮らす老いた母親の元に身を寄せることになった。そうなってから早いもので もう20年近く経つ。プライドだけは高かった彼。いつまで経っても働き口を探そうともせず親のスネをかじるばかり。彼の母親は老体に鞭を打って働くもののその幾ばくかの金の多くは彼の酒肴に消えていく。「育児」がいつまで経っても終わる気配がない。彼はと言えば家の手伝いもせずお酒を飲んでは自らの「不遇」を嘆くばかり。現状打破につとめることなくせっせと鬱憤だけを溜めていた。そのため彼の精神状態は日に日に悪くなっていった。鬱憤を晴らすようにして母親と口論となり時に暴力を振るうこともあった。暴力は日に日にエスカレートしていき母親は身の危険を感じるようになる。母親は暴力を受けながら誰にともなく無表情でこんなことを繰り返し呟いていた。「私もあなたも人間はみんな一緒」「人間はいつも同じことを繰り返す」「殴るあなたは私。今殴られている私はあなたでもあるのよ」「なにもかにもいつかの私」「あなたも私も死に様は一緒。惨めなものよ。誰も彼も一緒」ある朝母親は布団の中で冷たくなっていた。存外、死に顔は安らかであった。その日以降彼は変わった。近所では挨拶もせず、いつも不機嫌であまつさえ何かにつけて怒鳴り散らす彼は危険人物として認識されていた。そんな彼が母の死以降何かに吹っ切れたように柔和でニコニコとして人当たりが良くなったのだ。「お母さんが亡くなって改心したのね」と、近所の人達の中で評判になった。そんな彼は「今後の仕事に活かすために、期限までに凄いものをつくりたい」と近所の人々に道具や材料などを無心するようになった。まるで別人のように良い人になった彼に周囲の人々は喜んでそれらを差し出した。しかし、周囲の期待をよそに彼はある日 自宅で死体となって発見された。死体の傍には彼が自作した仰々しい機械仕掛けの作品が残されていた。それは安楽死マシン。母を見返すかのように誰も今まで経験したことの無いような死に方をするための彼の渾身の作であった。紐を引けば彼の計算では楽に死ねるはずであった。彼は、人類史に残るような死に方だと自負していた。死に様という点で世界の誰よりも優位に立ちたかったのだ。立てると思っていたのだ。社会を見返してやる。しかしながら歯車にずれが生じ僅かに急所をそれ苦しさにのたうち回ることになった。結局、台所の包丁を手にとり悪夢から醒めよとばかりにやたらめったら首を突き刺して絶命した。その顔は苦悶の表情を浮かべていた。結局はいつかの誰かと同じ死に方になった。彼の手には母の遺影が握られていた。簡易的にこしらえられたその遺影はすっかり血に汚れてしまっている。それは決して母への愛情によるものではない。彼が決行の日に選んだのは彼の誕生日。亡くなった母親も「愛する我が子に会いに来てくれるに違いない」とその日を選んだ。母が迎えに来て天国へ連れて行ってくれると信じて疑わなかった。そう、彼は彼のエゴで死を選んだ。死後もまた彼は母親に助けてもらおうと考えているのである。Twitter↑風流先生おすすめ商品掲載中経由購入などありがとうございます!