スラムダンクポエム【映画のネタバレ有り注意】
今でも夢に見る。小学生の時のことを。 土曜日も午前中だけ授業があった時代だ。全校生徒のみんなが整列して「サル ゴリラチンパンジー♪」と空耳が聞こえる「ボギー大佐」の行進曲と共に帰っていったあとが僕たちの時間だった。 体育館には仲間たちが残っている。私は兄の影響でバスケットボールを始めた。勿論愛読書は当時ジャンプで連載中だったスラムダンク。そのプレイスタイルから花形透や神宗一郎に憧れた。私たちはその地域のミニバスケットボール少年団の1期生だった。藤真健司みたいなイケメンのキャプテンと仲間を鼓舞する頼れる大柄なセンター。トリックプレーが得意なポイントガード。シュート時に分かりやすい動きにも関わらずみんな何故が引っかかる謎のフェイクを使いこなすサウスポー。そしていつもニコニコしていて歯を見せるな、口を閉じろとコーチに叱られてばかりの私がいた。怒られてもバスケットボールが楽しくて仕方なかった。シュートが入れば「ナイッシュー」と言われる。それが嬉しくてついつい笑みが零れてしまう。試合が始まるようだ。私はユニフォームを着て仲間たちと並ぶ。対戦相手と向かい合う。誰にも負けないという自負があった。私たちが最強なんだと。大人になった私は映画館にいた。湘北高校、そして対するバスケットボール日本一の常連である山王高校のメンバーが白い紙に鉛筆書きによって描かれ描き終わったらそのキャラが動き出し1人ずつ生命が吹き込まれていく。そして淡々と、当たり前のように試合が始まる。一人一人の想いがぶつかり合う瞬間だ。鳥肌が立つ。小さい頃のミニバスの試合の緊張感が蘇った。彼らが試合を始めた。 彼らがそれぞれの意志を持って動いている。漫画の中の登場人物にすぎない彼らが本物の「試合」をしている。バスケットボールが弾む音。バスケットシューズの擦れる音。選手たちの息遣い。視覚だけではなく耳からも臨場感が伝わる。リョータが桜木と共に奇襲のアリウープを仕掛けた時に会場が度肝を抜かれたが私もまた然りだった。こうした試合の生々しさとリアルさスピード感圧倒的迫力に鳥肌が立ち少しだけ身震いした。それは一言で言えば感動だ。幼い頃のヒーローが現実さながらの試合をしている。昔の、バスケットボールに熱を上げていた自分に見せてあげたいと痛烈に思った。私が思わず「あっ…」と感嘆の声をもらしたのは我慢の男「一之倉聡」だ。彼が登場した時間は僅かだったが彼は前半戦の三井寿にピッタリマークしてゴリゴリ体力を削っていた。これが彼の「スッポンディフェンス」の動きなのかと目頭が熱くなった。試合にとてつもない「説得力」があるためにあたかも現実の会場で試合を見ているかのような錯覚に陥り映画を観ている私もついつい拳に力が入る。いつの間にか湘北高校を心の中で応援している自分がいた。勿論コミックスは全巻読んでいるし 試合の流れも結末だって知っている。 それでも自分の心の中で「頑張れ!!頑張れ!!」という叫びは止まらなかった。そこにはバスケットボールが大好きにも関わらず最高の仲間たちと散り散りになり結果を残せず早々に辞めてしまった自分の無念をも乗せていたように思う。湘北高校のメンバーを本気で応援している。だからこそ笑ってしまった瞬間がある。主人公の桜木花道だ。彼がどフリーでレイアップシュートを外したりダブルドリブルをした時、思わず少し吹き出してしまった。彼はバスケットボールを始めて間もない素人だ。そんな彼は映画を観ている我々の緊張感さえも解してくれたのだ。しかし、彼はただの素人では無い。彼のバスケットボールのセオリーや常識から逸脱した行動が思わぬ効果をもたらした。湘北高校の仲間のそれぞれが自分の中に存在する「壁」を破壊するための導火線に火を点けることになった。そう。コート上の全員が自分の壁を破り限界を突破することが最強山王に勝つために重要なポイントなのだ。湘北高校のメンバーはそれぞれが自らの壁を破壊していく。それは同時に自分との闘いでもあった。ゴリは丸ゴリとの勝負に固執せず仲間を信じる道を選んだ。宮城リョータは折れそうな心を踏ん張って山王の鉄壁のオールコートを破った。前半一之倉にスタミナを削られた三井寿はヘロヘロになりながらも3Pシュートを決めた。唯我独尊の流川楓が味方にパスをした。桜木花道は懸命にボールに飛びつき怪我を負いながらもライバルである流川楓に対しボールを託した。それぞれが壁をぶち破る瞬間が最高に熱くて気持ち良かった。私はその都度「ぶち破れ!」と心の中で叫ぶと同時に涙を流していた。試合が終わった。湘北高校のメンバーが高校バスケ日本一の壁を越えたのは決して奇跡ではなく「越えるべくして越えた」のだと映画を通して実感した。自らよりも強大な敵に対して、彼らは苦難を乗り越えてきた自らの人生経験全てを賭して生命の火を燃えたぎらせて己の限界を超えて死闘を繰り広げていた。これを青春と呼ばずして何と呼ぶだろう。夜空に咲く花火のように美しい試合だった。日本一の壁を乗り越え燃え尽きた彼らが次の試合で嘘のようにぼろ負けしたのもまた理解出来ることである。仮に勝者が山王高校であれば当たり前のように全国制覇を成し遂げていたことだろう。リョータは海辺にたたずむ母親に試合の結果を報告した。山王高校との試合をひと言「こわかった。」と振り返る。亡き父や兄の代わりになろうと家族における副キャプテンという重責から宮城リョータはいつも背伸びをし、自分を見失い母親との関係をも見失っていたように思う。それは、派手な見た目とは裏腹に誰よりも繊細で傷付きやすく他人に優しく敏感な彼ならではのことだ。そんな彼が強がりも何も無くこわかったと感情を顕にした時は子供が母親に甘えているように見えた。本当の宮城リョータがこにいた。だからこそ母親は心底嬉しそうにおかえりなさいと告げたのだろう。山王高校との一戦は宮城リョータに本来の自分と家族という居場所を取り戻させたのだ。「お前は優しすぎる!もっとぶつかって来い!」兄との1on1でよく言われた言葉だった。今はその言葉の意味がよく分かる。兄は私にバスケを続けていく中で私が越えるべき壁を明確に示してくれていたのだ。兄はいわゆる不良でよく喧嘩をしていたようだが私には優しくそれでいて何故か勉強はよくできて高校のバスケ部では部長を務めていた。負けん気の強さと抜群の集中力と判断力の良さが光っていたように思う。私が兄に勝てるところはひとつも無く、劣等感の塊に陥った私は兄からもバスケからも逃げ出した。しかし、厄介なことにバスケが好きな気持ちはいつまでたっても変わらずバスケを辞めた後悔はいつまで経っても残り今も呪いのように大昔の、小学生時代の夢を見せてくる。私はスラムダンクの映画を観たことによりひとつの夢が産まれた。それが叶えば小学生時代の自分と決別できそうな気がする。