シルバーアローズ(ザウバーC9、メルセデスC11、C291、300SL)
なんともひもじい(笑)別に生活費全部ミニカーにつぎ込んでお金がなくなっちゃったって訳じゃないんだけどね。正月早々、何年ぶりかでインフルにかかっちゃってさ。基本まわりに人はいないんで、きっとスーパーなんかに漂ってたのに引っ掛かっちゃったんだろうけど、A型インフルにあるまじきダラダラと微熱が続く症状で日がな一日ほぼ寝っ転がってた。で、ようやく床上げしたと思ったら今度は降雪。 たかだかセンチ単位の積雪が大雪とは笑わせんなと北の方々はおっしゃるだろうが、降らないことが通常な南関東ではホントに雪が降れば陸の孤島、つかミステリで云うところのクローズドサークル、吹雪の山荘。外を眺めても足跡すらない白い原野、つまるところ誰も雪かきなどしないのである。近所にはコンビニが一件あるが、そんな状態なので配送トラックは上がってこない、こっちも冬タイヤなど装備しないので車で買い出しという選択肢もない。丘のふもとのスーパーに転倒覚悟で転がり降りていくかしかないわけだが、とりあえずは冷蔵庫のストックでなんとかやり繰りするんで、自ずと節約モードになるわけだ。今はもう路上の雪もなくなって買い出しも出来てるんだが、まあ病気のチョンガーほど情けないもんはないやね(笑) で、病み上がりで何するかといえばガサゴソとミニカー引っ張り出して写真を撮るという。。。昨年末に入庫したスパークのザウバーC9、どうせなら他のスパークも一緒くたに。右:ザウバーC9メルセデス 1989年ルマン優勝車中:メルセデスベンツC11 1991年ルマン5位(ファステストラップ記録車)左:メルセデスベンツC291 1991年SWCオートポリス優勝車もちろんスパーク以前の商品も手元にある。後発メーカー故の差別化としてエンジン再現を特長としたhpiレーシングのザウバーC9郡。市場的にはエンジン再現は百害あって一利なしと酷評されたけどね。左:1987年ルマン ファステストラップ記録車(DNF)中:1988年ルマン タイヤバーストにより本戦欠場右:1989年ルマン 優勝車ザウバーの見つけてきたスポンサー(クーロス:イブ・サン=ローラン)からダイムラー傘下のアルゲマイネ・エレクトロツィテート・ゲゼルシャフト(AEG電機)を経て伝説のシルバーアローへ。メルセデスの関与具合がよくわかる。hpiレーシング1/43 ザウバーC9メルセデス#62 チップ・ガナッシ / ジョニー・ダンフリーズ / マイク・サックウェル 予選7位スタート。ジョニー・ダンフリーズがファステストラップを記録するも37周目にギアボックストラブルでリタイア。hpiレーシング1/43 ザウバーC9メルセデス#62 クラウス・ニーツビーツ / ケネス・アチソン ミシュランタイヤがダウンフォースに耐えられず予選走行中にバースト。ミシュランは個体差であると主張したが、チームは本戦撤退を決定。ちなみにこの#62号車のシャシーはC9/88-03号で、翌年の優勝#63号車そのもの。前:スパーク奥:hpiレーシング こう比べてみるとレジンのスパークは、レジン簡易金型の悪さが出ちゃった感じでパネルラインのエッジがダレているのがわかる。とゆーかhpiのダイキャスト金型が頑張りすぎなんだろう。それよかダメダメなのはタイヤロゴ。この当時はまだ斜字体じゃないんだよね。左:hpi 右:スパークタイヤロゴはhpiが正解。ノーズの傾斜はどうなんだろう?実車画像と見比べるとスパークが近いように感じるけど。スパーク1/43 ザウバーC9メルセデス#63 ヨッヘン・マス / マニュエル・ロイター / スタンレー・ディケンズ 予選ワンツーの同僚からはかなり離された予選11位からスタートするも16時間目にトップに立つと5周遅れの#61号車を引き連れてのワンツーフィニッシュ。四つ目左端のイエローランプはスタート時の映像で確認できるものの、ウィニングラップでの汚れまみれの車両は4灯とも白色。レース中に右の横っ腹に穴が開くほどぶつけられたりしてるから、きっとピット修理した際に白4灯のノーズに付け替えられたんだろう。 因みにドライバーのスタンレー・ディケンズ、日本のレースに出てた時は「クリスマス・キャロル」「オリバー・ツイスト」の文豪チャールズ・ディケンズの縁続きとか確かテレビで紹介されてたけど、今調べてもそんなに重要なネタならどっかに載ってるはずだけど、皆無だからマユツバ話だったんだな(笑) さらに言えば、スタンレー・ディケンズを世話したツテでチームタイサンがC9を買い取って日本で走らせようとしたけど、エンジンメンテが出来なかった(メルセデスがさせなかった?)んで話が流れたんだそうだ。スパーク1/43 メルセデスベンツC11#31 カール・ベンドリンガー / ミハエル・シューマッハ / フリッツ・クロイツポイントナー ある意味、ルマンで不遇だったC11。デビューは1990年で、その年のWSPC全9戦中、出走した8戦で7勝と圧倒的な強さで制したもののルマンは世界選手権から外されていたし、89年に制覇済みという理由で不参加。翌92年は、新規定(例の3.5リッターNAエンジン)により勇退のはずが、FIAの目論見が物の見事に外れ(いっつもそうだ)まったくエントリーが増えず旧車もカテゴリー2という形で参加可能になったためルマンに引っ張り出されることになる。 しかしメンツにかけてもカテゴリー1の優位性を保ちたいFIAはC11などカテゴリー2車両に100キロ増、燃料使用量制限の足枷をはかせた。これによってかなりの戦闘力低下を余儀なくされたまま参加したルマンでは、カテゴリー1がほぼ全滅する中、#1号車がトップ走行するものの残り3時間となったところでエンジンブローでリタイア。序盤にトラブルで後退していた#31号車だけが生き残り5位フィニッシュ。 もし90年にルマンが世界選手権に組み込まれていたら、ヘンな足枷なしの純なC11でルマンを走っていたら今一度栄冠を手にしていたかも知れない。スパーク1/43 メルセデスベンツC291#2 カール・ベンドリンガー / ミハエル・シューマッハ これが1991年の本命、新規定グループC(カテゴリー1)、3.5ℓNAエンジン車。アンダーパネルによるベンチュリ効果確保のために新開発180度V12エンジン(M291)の後端を上に傾けて搭載し、下面をフラットにすべく上方排気とした攻めた設計が災いし、冷却系潤滑系にトラブルを抱えて、その対処に追われシーズンが始まっても熟成が進まなかった。 実際、この年のカテゴリー1の最適解はロス・ブラウン設計のジャガーXJR-14であり、攻めた筈のC291もジャガーに比べればグループCカーの常識を脱していなかったと言える。それでも徐々に完成度を挙げてSWC最終戦オートポリスで最初で最後の優勝を飾る。メルセデスは翌年を見据えてC292を開発していたが、C291がかなり問題を抱えていたために、計画推進をあきらめてスポーツカーレースから撤退を決めた。 そして、ルマン制覇を果たした2台のマシン。どっかの博物館にありそうな風景だな(笑)スパーク1/43 メルセデスベンツ300SL#21 ヘルマン・ランク / フリッツ・リース C9に遡ること37年、1952年にルマン制覇を果たした300SL。しかし、スタートから23時間ひとりでドライブしていたタルボ・ラーゴT26GSのピエール・ルヴェーが疲労からシフトミスしエンジンブローしてリタイアしたため4周遅れの#21号車に優勝が転がり込んできたタナボタだった。さらにこの時のルヴェーの健闘を称えて「次にメルセデスがルマンに来るときは、君に乗ってもらおう」と言ったことが1955年の大事故の発端となるとは何という運命の皮肉か。てなわけで、病み上がりのメルセデスてんこ盛り、どっかにしまったミニカー探したりあれこれ資料調べるのにいつも以上に疲労がたまったわー(笑)