#300128~ザ・ファースト911(ポルシェ 911)
はやくもレブズ・インスティテュートの第二弾である。春節なのか新型コロナの影響なのか、新しいのが生産元から流れて来ないんである。大人気だったから再生産してるヤツとかレーシングオン特注のヤツとかがね。とゆーわけで、早速。TSMモデル 1/43 ポルシェ 911 ”1966年デイトナ24h 16位”#18 ジャック・ライアン / リン・コールマン / ビル・ベンカー 今でこそアメリカでも市民権を得てセレブ御用達カーみたいになっているポルシェであるが、当時は創業たった18年の新興メーカーゆえに知る人ぞ知る的な存在で販売にも四苦八苦。アメリカじゃこの時点で創業50年以上の信頼あるメーカ―がゴロゴロあったからね。そんな現状を打破する一手が「格式高いレースで勝って名を上げよう」作戦。ポルシェの速さと堅牢さをアピールするには長時間耐久が持ってこいとゆーわけで、デイトナ24時間レースに参戦とゆー運びになった。 デイトナ制覇を目標に掲げ、ワークス監督フシュケ・フォン・ハンシュタインの号令一下、新型プロト906と904GTSをフロリダに持ち込んだ。対するフェラーリも250LMや365P2を大量エントリー、フォードもGTをエントリーしてきた。他にもコルベットやジャガーなど総勢60台を超える大盛況の中、フシュケは見つけてしまう。「なんかオレらのあずかり知らねえポルシェが一台混ざってんぞ?」それこそがこの黒地に白ラインのエアロパーツもない地味な911(シャシーナンバー#300128)だった。 #300128はアメリカで2番目に納車された911で、NFLジャガーズの本拠地フロリダ州ジャクソンビルのディーラー試乗車として5万キロ程度走った後、1965年に売りに出された。これを手に入れたのがジャック・ライアン。トム・クランシー作品のCIA分析官では勿論なくて、ポルシェ・クラブ・オブ・アメリカ(PCA)会員でジョージア州アトランタのフォルクスワーゲン・ディーラーの経営者。サンデーレーサーでもあったライアンは、このクルマで一発当ててやろうと思い立ち、PCA友達のコールマンとベンカーと一緒に、助手席を取り外して簡易型ロールケージを組み込み、フロントバンパーの下に補助ランプを追加、エキゾーストを手作りのセンター出しに改造して、レースに正式にエントリーしてしまったってわけ。お手製のエキゾーストパイプ(AMラジオは装備されたまま)笑 ビックリしたのはフシュケとポルシェ本社。こんなセコハンで走られてエンジンブローとかクラッシュとか派手にリタイアされたら物笑いの種、「レースに勝って名を上げよう」作戦が水の泡やんか!あんたらレースに出んの辞めなはれと説得するも、「いやいや、辞めるも何もオレが買ったクルマで何しようがオレの勝手でしょ」と走る気満々なライアンは聞く耳持たず。 フシュケの思惑は失敗し、レースはスタートする。わずか130馬力のどノーマル911は39番グリッドから焦らず丁寧に淡々と周回を重ね、3時間後に33位、6時間後に25位、17時間後には19位と順位を上げ、ついに2リッタークラスのトップに躍り出る。思わぬ大活躍に参戦を潰そうと画策したフシュケも、しれっと「もしあの911にトラブルが出たら、ワークスチームの総力をもって対応しろ!」と下知する始末(笑) 結局、#300128はノントラブルでそのまま走り切ってクラス優勝(総合では16位)、5万キロ走行の中古911が国際格式のレースで優勝した最初のポルシェとなった瞬間である。1か月後の同じメンツでセブリング12時間レースに挑戦し、ピストンにトラブルが発生しながらもクラス2位でフィニッシュして栄光に花を添えた。 その後幾度となくオーナーが変わって、始まりの場所フロリダ州(レヴズ・インスティテュート)に戻ってきたとゆーおハナシ。 フロントフェンダーのスポンサーステッカーは「オートハウス・ポンパノ(フロリダの中古車ディーラー)」「RBM・オブ・アトランタ(ジョージアのメルセデス・ディーラー)」50年経ってもどっちもちゃんと存在するのが凄いね。 国際格式レースで優勝した最初の一台と直近の一台、のツーショット。911は一目見て911であることが判るとゆーが、並べるとずいぶんと変わっちまったよね(笑)