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カテゴリ:街 こおりやま
戦場へ伝えられた銃後
鉄道に興味を持った4歳に満たぬ孫が、Uチューブで列車内チャイム集を聞いていました。聞くとはなしに耳をそばたてていて、ハイケンスのセレナーデがあるのに気がつきました。画面を見てみると、最初は旧日本国有鉄道の客車の車内放送用チャイムに第一主題の旋律の末尾部分が採用され、今日でもカシオペアを除いた全てのJRの客車列車と、789系、秩父鉄道のパレオエクスプレスに使用されているとありました。 この曲は昭和16年から昭和18年頃まで『前線に送る夕(ゆう)べ』のテーマ音楽として放送されていたもので、何となくほのぼのとした暖かいメロディーが幼い頃の私の胸に染み入っていたものでした。ただその後も気にかかっていたのは、あの大戦中、敵性人とされていた西洋人の作品が、国策として放送されていた『前線に送る夕べ』のテーマ曲とされていたことでした。しかしハイケンスがオランダ人でありながら、ナチス・ドイツの信奉者であったことを知った時、私は納得できたのです。 ハイケンスは多くの楽曲を作曲したそうですが、何故かこのセレナーデ以外に残されていないのだそうです。(NHKラジオ第一放送 クラシックへの誘い:セレナーデ名曲集、2012年5月3日放送)彼は第二次世界大戦の終結後、ナチス・ドイツに対して協力的な姿勢を問われて収監されて獄中死したとされていますが自殺ともされていますので、母国オランダでもほとんど知られていない人らしいのです。ともあれこのセレナーデ以外の曲が演奏されないのも、こうした事情が影響しているのかも知れません。 第二次大戦の頃のラジオは、日本放送協会が独占する中波1波のみの国策放送でした。それもあってこの「前線に送る夕べ」は、当時一流のスターを揃え、また局が持つ最高の技術とスタッフが総動員されていたそうです。この番組は「皇軍慰問の夕べ」「傷病将士慰問の夕べ(または午後)」として当初不定期に行われていたものを、毎月九日と二十四日放送する定期的な番組にしたもので、国内はおろか、アジア、太平洋各戦線に向けて短波で放送されました。 内容の唄や演芸は公会堂などから実況中継をし、戦地からや家族からの手紙はスタジオでアナウンサーが読み上げたそうです。また前線兵士とその家族の間で、内容のやりとりも放送されたそうです。『前線に送る夕べ』は国策遂行目的の番組でしたから放送ミスなど許されるはずもなく、現場はまさに命がけであったそうです。 この「前線へ送る夕べ」は当時としては斬新な組み立てで、公会堂などの客席に傷病兵や出征兵士の家族を招き、舞台には当時人気の芸能人を続々出演させ、前線からのリクエストも受け付けたといわれます。 福島県からも、福島市出身の古関裕而氏の作曲した曲 露営の歌 ・・・・・・ 勝ってくるぞと勇ましく 暁に祈る ・・・・・・ ああ〜あ〜あの顔で あの声で 若鷲の歌 ・・・・・・ 若い血潮の予科練の ラバウル海軍航空隊 ・ 銀翼つらねて南の前線 などや、本宮市出身の伊藤久男氏が歌う曲 海行かば ・・・・・・ 海行かば水漬(みず)く屍(かばね) 暁に祈る ・・・・・・ あ〜あ〜あの顔であの声で 歩兵の本領 ・・・・・ 万朶(まんだ)の桜か襟の色 嗚呼神風特別攻撃隊 ・ 無念の歯がみ こらえつつ などが放送されていました。ただしこの二氏、決して軍国主義者として参加したものではありません。しかしこの二人を含めて、当時の軍部などに利用された芸能人の出演が多かったということでしょう。 当時私は、まだ放送の内容を理解できる年齢にはありませんでしたが、『前線に送る夕べ』を父親の膝の上で家族と一緒に聞いた記憶があります。この放送が送られる中国に叔父が出征しており、またわが家に疎開していた叔母に私が、「お前も大きくなると戦場でこの放送を聞くようになるんだね」と言われた言葉を疑問もなく、誇らしげに受け入れていました。 幼かった私自身、大人になって兵隊になったら、戦闘機乗りか戦車兵になる積もりでいました。当時の教育や絵本などからは、勝ち進む日本軍の戦闘機や戦車しか出てこなかったのです。何のことはない、『負け知らずの日本軍』という宣伝の下で、単に男の子らしく機械が好きだったということに過ぎなかったということでしょう。時代がそういう時代であったということであり、その頃の遊びの主なものは、『兵隊ごっこ』であったのです。 しかし今になって思えば、ラジオは真空管式で大型であったこの時代、果たして兵士たちは戦地で『前線に送る夕べ』を聞けたのでしょうか? しかも短波ともなれば、敵国や海外からの情報流入を嫌って、国内では受信禁止とされていたものです。その短波による放送ですから、恐らく通信隊に所属する兵士やその上司、場合によっては将官クラスが聞けたのみかも知れません。 つまりこの放送は、せいぜい敵国に対するプロパガンダであり、国内の戦意高揚の宣伝のためであったのかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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