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カテゴリ:街 こおりやま
奇 跡 の 一 本 松
ハワイ・マウイ島カフルイ市の日本庭園に、小さな松の木が植えられています。傍らには英文で、次のような説明文が掲示されています。 『この木は2011年3月11日に日本で起きた地震と津波の犠牲者へ捧げられました。 2011年3月11日、マグニチュード9の地震が日本の東北地方を襲いました。この地震によって引き起こされた破壊的な津波は2万人以上の命を奪い、この地方全体を壊滅状態にしました。岩手県陸前高田市では、高田松原の赤松と黒松、合わせて7万以上が津波に倒されました。ところが驚いたことに、一本の松の木が生き残ったのです。 この地域の人々は松の木を「奇跡の一本松」と名付けました。この松は生き続け、被災者の希望と忍耐の象徴となりました。ここに植えられた松は、これらの被災者の強さと決意を表します。また、この松は、マウイ郡の人々が日本の人々と分かち合う強い結びつき、支援、アロハ精神を象徴するものでもあります。 献呈と植樹 マウイ日本文化協会 2011年8月6日』 あの大震災から3年目の3月11日がきます。この大地震と大津波に重なって起きた福島原発事故。故郷を追われた人たちは、こんなにも長い避難生活になるとは思いもしなかったでしょう。かく言う郡山に住む私も1週間、いや1ヶ月も経てば、もとの生活に戻れるものと思っていました。ところが大津波もさることながら、いつ終息するか分からない放射線汚染問題で、福島県は三重の災難に襲われることになってしまったのです。 震災前、南相馬市鹿島区南右田地区にはおよそ70世帯が暮らしていましたが、ほぼ全ての家屋が津波の被害を受け、亡くなった人もいたのです。ここの海岸沿いには保安林としての松林が続き、キャンプ場や海水浴場があったのですが、松の木の高さほどの津波で南右田の集落とともにほとんどが流されてしまったのです。この大津波の中で、十数本の松の木が残されたのですが、残った松も次々と枯れてしまい、なぜか一本だけが枯れなかったのです。この松は、高さおよそ25メートル、根回り約2メートル、しっかりと立ち、青々としています。地区の人たちは、この松を復興のシンボルにしようと「奇跡の一本松」と名づけ、「一本松を守る会」を立ち上げ、保存活動に乗り出したのです。 一本松を守る会の五賀和雄会長は、 「生きてもらって、すごく感動している。1本だけですからね、何万本のうちから」 と話しています。また妻と両親を亡くした中野正一さんは、 「葉を見ると、前より色が濃くなった感じがする」 と言っています。しかし私がこれを知ったのは、つい最近のことでした。しかも生き残ったと思われたのに枯れてしまった陸前高田の一本松と違うのは、この松は3年後の今も生きているということです。 実はカフルイ市の日本庭園に松を植えるのに、私も関係していました。マウイ郡のキース・レーガン副郡長が主宰して『放射能から避難していた子どもたちのうちの100人を無償でハワイに招き心を癒してもらう』という大プロジェクトを展開したのです。この癒しの旅に私も同行しましたが、そのとき、日本庭園に植える祈年樹に何がいいかを問われたのです。 突然の問いに、咄嗟に私は松を薦めたのです。もしこのとき、南右田の「奇跡の一本松」、を知っていたら陸前高田ではなく南相馬を薦めたのにと、残念に思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.03.01 12:09:40
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