1616981 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

『福島の歴史物語」。ただいま、「鉄道のものがたり」を連載しています。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

桐屋号

桐屋号

カテゴリ

著書一覧

(1)

ショート、ショート

(236)

街 こおりやま

(91)

阿武隈川~蝦夷と大和の境界線

(15)

埋蔵金の伝説

(7)

三春藩と東日流外三郡誌

(12)

安積親王と葛城王

(18)

安積山のうた〜思いつくまま

(8)

和歌と紀行文に見る郡山

(42)

田村麻呂~その伝説と実像

(19)

雪女~郡山市湖南町の伝説

(9)

郡山最初の領主・伊東祐長

(21)

田村太平記~南北朝の戦い

(32)

源頼朝に郡山を貰った男

(24)

愛姫桜~ひそやかな恋の物語り

(12)

北からの蒙古襲来

(12)

さまよえる神々~宇津峰山に祀られた天皇

(15)

三春挽歌~伊達政宗と田村氏

(19)

寂滅~隠れ切支丹大名

(10)

江戸屋敷物語

(9)

大義の名分~三春は赤穂とどう関わったか

(12)

三春化け猫騒動~お家騒動伝説

(14)

三春化け猫騒動(抄) 2005/7 歴史読本

(0)

戒石銘

(10)

会津藩、ロシアに対峙す~苦難の唐太出兵

(42)

郡山の種痘事はじめ

(25)

いわれなき三春狐

(10)

三春戊辰戦争始末記

(45)

遠い海鳴り~幕末三春藩の経済破綻

(15)

小ぬかの雨~明治4年、三春藩最後の敵討ち

(16)

馬車鉄道〜インダス川より郡山・三春へ

(31)

三春馬車鉄道(抄) 2006/3 歴史読本

(1)

マウナケアの雪~第一章 銅鑼の音

(27)

マウナケアの雪~第二章 心の旅路

(24)

マウナケアの雪~第三章 混迷するハワイ

(29)

マウナケアの雪~第四章 束の間の平和

(26)

我ら同胞のために~日系二世アメリカ兵

(50)

二つの祖国の狭間で

(21)

九月十一日~ニューヨーク同時多発テロ

(13)

石油輸送救援列車・東へ

(13)

講演その他

(2)

新聞雑誌記事

(27)

いろいろのこと

(1)

海外の福島県人会

(34)

鉄道のものがたり

(10)

コメント新着

桐屋号@ Re:郡山の製糸(01/04) ビジターさん 1* 私はPCについてよく知…
ビジター@ Re:郡山の製糸(01/04) ご労作読ませていただきました。 1.青色…
ビジター@ Re:郡山の製糸(01/04) ご労作読ませていただきました。 1.青色…
ビジター@ Re:郡山の製糸(01/04) ご労作読ませていただきました。 1.青色…
桐屋号@ Re:10 新たな資料(02/26) 詳細をありがとうございました。 つい先日…
桐屋号@ Re[1]:六、『安積山のうた』と『仮名序』(01/20) 通りすがりさんへ ありがとうございます…
湊耕一郎@ Re:10 新たな資料(02/26) 御無沙汰しております。お変わりありませ…
通りすがり@ Re:六、『安積山のうた』と『仮名序』(01/20) 今泉正顕著「安積采女とその時代」(教育書…
aki@ Re:六、『安積山のうた』と『仮名序』(01/20) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
GX革命@ Re:大同2年(04/26) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2015.02.01
XML
カテゴリ:街 こおりやま
    阿 尺 と 安 積

 国造(くにのみやつこ)は、律令制が導入される以前の地方官で、軍事権、裁判権なども持ち、実質的にその地方の支配者でした。訓のみやつことは御奴(みやつこ)の意味とも解されます。国造の下に県(あがた)があり、かなり整備された国県制があったとする見解もありますが、国造制の実態や中小豪族との関係で不明な点が多く、律令制以前の地方支配の実態は明確になっていません。しかし大化の改新(大化二・646年)以降、国造は主に祭祀を司る世襲制の名誉職となり、従来の職務は郡司に置き換えられていきました。

 阿尺国造が治めた阿尺国は、律令制下の評(郡)に転じたものに始まるとされています。

 続日本紀によりますと、和銅6(713)年5月2日条で『畿内、七道の諸国は、郡、郷の名に好字(漢字二字の嘉き字)を著(つ)けよ』と命じる地名嘉字使用令が出ましたので、その時点で阿尺は安積という文字に変えられたものと思われます。

 さて現在、JR東北本線宇都宮駅の二つ北、烏山線と分岐する地点に宝積寺駅があります。これは栃木県高根沢町宝積寺にある駅で、『ほうしゃくじ』と読みます。積が『しゃく』なのです。

 そこから調べてみましたら、宝積寺(ほうしゃくじ)という古い読みの寺が、京都府乙訓郡大山崎町の天王山中腹にある真言宗智山派の寺にありました。この寺は山城国(京都府)と摂津国(大阪府)の境に位置し、古くから交通・軍事上の要地であった天王山の南側山腹にあったのです。寺伝では神亀元(724)年、聖武天皇の勅願により僧・行基(ぎょうき)が建立したと伝えられています。

 さてこの阿尺国の阿尺、『あしゃく』だったのでしょうかそれとも『あしゃか』だったのでしょうか? もし『あしゃか』なら安積につながるのですが、『あしゃく』ではちょっとつながりにくいと考えていました。しかし地名嘉字使用令が出された713年よりたかだか11年後の724年に建立されたこの京都府の宝積寺の読みから、『安積』と文字を変えた時点では宝積寺(ほうしゃくじ)と同じ読みの『あしゃく』であったのではないかと想像していました。

 この宝積寺、実は福島県にも4ヶ寺ありました。福島市舟場の宝積寺には、伊達晴宗(政宗の祖父)の墓があり、会津若松市小田山の山麓にある宝積寺の地蔵尊の錫杖の頭には、十字架がついているそうです。その他にも、同じ文字と読み方の寺が、喜多方市と伊達郡桑折町にもあるのを見付けたのです。

 ところが後に、『さか(積)』は通常『しゃく(尺)』の転訛であるということを知りました。そのこともあって、いつの間にか安積が「あさか」と読まれるようになったのだと思います。ということは、『積』という文字は『しゃく』と読むのが当時の常識? であったのかも知れません。



ブログランキングです。
バナー←ここにクリックをお願いします。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015.02.01 18:39:28
コメント(0) | コメントを書く
[街 こおりやま] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.