1622222 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

『福島の歴史物語」。ただいま、「鉄道のものがたり」を連載しています。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

桐屋号

桐屋号

カテゴリ

著書一覧

(1)

ショート、ショート

(236)

街 こおりやま

(91)

阿武隈川~蝦夷と大和の境界線

(15)

埋蔵金の伝説

(7)

三春藩と東日流外三郡誌

(12)

安積親王と葛城王

(18)

安積山のうた〜思いつくまま

(8)

和歌と紀行文に見る郡山

(42)

田村麻呂~その伝説と実像

(19)

雪女~郡山市湖南町の伝説

(9)

郡山最初の領主・伊東祐長

(21)

田村太平記~南北朝の戦い

(32)

源頼朝に郡山を貰った男

(24)

愛姫桜~ひそやかな恋の物語り

(12)

北からの蒙古襲来

(12)

さまよえる神々~宇津峰山に祀られた天皇

(15)

三春挽歌~伊達政宗と田村氏

(19)

寂滅~隠れ切支丹大名

(10)

江戸屋敷物語

(9)

大義の名分~三春は赤穂とどう関わったか

(12)

三春化け猫騒動~お家騒動伝説

(14)

三春化け猫騒動(抄) 2005/7 歴史読本

(0)

戒石銘

(10)

会津藩、ロシアに対峙す~苦難の唐太出兵

(42)

郡山の種痘事はじめ

(25)

いわれなき三春狐

(10)

三春戊辰戦争始末記

(45)

遠い海鳴り~幕末三春藩の経済破綻

(15)

小ぬかの雨~明治4年、三春藩最後の敵討ち

(16)

馬車鉄道〜インダス川より郡山・三春へ

(31)

三春馬車鉄道(抄) 2006/3 歴史読本

(1)

マウナケアの雪~第一章 銅鑼の音

(27)

マウナケアの雪~第二章 心の旅路

(24)

マウナケアの雪~第三章 混迷するハワイ

(29)

マウナケアの雪~第四章 束の間の平和

(26)

我ら同胞のために~日系二世アメリカ兵

(50)

二つの祖国の狭間で

(21)

九月十一日~ニューヨーク同時多発テロ

(13)

石油輸送救援列車・東へ

(13)

講演その他

(2)

新聞雑誌記事

(27)

いろいろのこと

(1)

海外の福島県人会

(34)

鉄道のものがたり

(12)

コメント新着

桐屋号@ Re:郡山の製糸(01/04) ビジターさん 1* 私はPCについてよく知…
ビジター@ Re:郡山の製糸(01/04) ご労作読ませていただきました。 1.青色…
ビジター@ Re:郡山の製糸(01/04) ご労作読ませていただきました。 1.青色…
ビジター@ Re:郡山の製糸(01/04) ご労作読ませていただきました。 1.青色…
桐屋号@ Re:10 新たな資料(02/26) 詳細をありがとうございました。 つい先日…
桐屋号@ Re[1]:六、『安積山のうた』と『仮名序』(01/20) 通りすがりさんへ ありがとうございます…
湊耕一郎@ Re:10 新たな資料(02/26) 御無沙汰しております。お変わりありませ…
通りすがり@ Re:六、『安積山のうた』と『仮名序』(01/20) 今泉正顕著「安積采女とその時代」(教育書…
aki@ Re:六、『安積山のうた』と『仮名序』(01/20) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
GX革命@ Re:大同2年(04/26) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2016.12.01
XML
カテゴリ:街 こおりやま


   郡山の古代史を紡いだ人々

 神護景雲三年(769)、安積郡の丈部直継足(はせつかべのあたいつぐたり)が、阿倍安積臣(あべあさかのおみ)の姓を賜った。

 その2年前、伊治城(いじじょう)(宮城県築館町)が蝦夷を治める政策の拠点として造営され、ここに他の地域から人々を移住させたことに蝦夷側が反発、対立が深まっていった。

 宝亀三年(772)、安積郡の丈部継守(はせつかべのつぐもり)ら十三人が阿倍安積臣の氏姓を賜っている。しかも郡山市史を読み進めると、時代を経るに従って、多くの人に官位や姓を与えられていることが分かる。その中に郡山に関連するものとして安積臣(あさかのおみ)、安積連(あさかのむらじ)などがある。

 臣は、ヤマト王権で使われていた姓(かばね)の一つで、姓の中では連と並んで高位に位置していた。これら姓を得た人たちは34名以上にも及び、意外に多い。市史は、彼らが征夷軍に対して大きな便宜供与をしたことを示唆している。

 宝亀十一年(780)、伊治公呰
麻呂(これはるのあざまろ)が反乱を起こし、多賀城を焼き打ちにして退去した。負け続けの征夷軍を、征夷大将軍の大伴弟麻呂が田村麻呂とともに戦って、大きな戦果をあげた。

  その後に、安積郡の丸子部古佐美(まるこべこさみ)、大田部山前(おおたべやまざき)、富田郡の丸子部佐美、小田郡の丸子部稻麻呂らに大伴安積連が与えられた。 承和十年(843)、安積軍団は1,000人の増員をしている。この年の狛造子押麻呂(こまつくりのおしまろ)一族の贈姓は、これに関連したものであったのであろうか。


 貞観十二年(870)、安積郡の矢田部今継、丈部清吉ら17人が、阿倍陸奥臣という姓を賜わった。これは前年に起きた貞観大地震の救援に関したものであろうか、いかにも人数が多い。貞観大地震は、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大地震に匹敵する大きなものであった。

 これらの贈位は、この地方が阿武隈川の水運を利用した対蝦夷戦の兵站基地などとして利用されたからであろうか。

 この間の天応元年(781)、鹿島大神宮(西田町丹伊田)は、安積郡大伴安積連丸子部古佐美が、常陸国鹿島神宮より勧請したと伝えている。この地は、上代安積郡に属し、丸子部の人たちが新田を興したため丹伊田と称したという



ブログランキングです。
バナー←ここにクリックをお願いします。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016.12.01 12:32:01
コメント(0) | コメントを書く
[街 こおりやま] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.