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カテゴリ:読書週間スペシャル
5年生の賢治特集、3日のうちの2日は『注文の多い料理店』、ではあと1日は?
ストーリーラインのはっきりしたそれで2日使うなら、もう1作は幻想的なものに振っても大丈夫だよねと比較的すんなりと『やまなし』に決まる。長さ的にもゆったり読んで大丈夫。詩と組み合わせる? いや、『注文…』は2日に分けるとさすがにどちらか1日は時間が余るから、そっちに子どもたちが暗誦済みの「雨ニモマケズ」を入れて一緒に朗詠しようよ。 もしかして自分が読むことになるかもと、角川文庫版の短編集まるごと収録(意外とこの形のものはなかったりする)の『注文の多い料理店』を買っていた私、これにはもちろん賢治自身による序文も含まれている。
「わたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです」というフレーズが世間一般の「メルヘン」のイメージを形づくっているようなところが無きにしもあらずのこの序文にこんな部分がある。「なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。」 私たちのグループが『やまなし』に漠然と抱いていたイメージはまさにこのような感じだった。わからなくてもいい、感じろ、そう作者にゆるしてもらったような気がして、『やまなし』と一緒にこの序文を読むことに決める。擬音をはじめ、独特の用語、独特の言葉づかいがいっぱいの賢治作品。その中で「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」という台詞は、教育テレビの「にほんごであそぼ」を通して子どもたちの耳になじんでいる。なんか蟹の話でしょ、というイメージで止まっているそれを実際に読んでみよう、不思議な言葉を一緒に楽しんでみよう。 『やまなし』も有名作品だけに、さすがに絵本がたくさんある。ミキハウス版の川上和生、川の上からのぞきこんだ風景がまさにそこにある。水の匂いがする。素朴な蟹の絵がほっこりとかわいらしい偕成社版の遠山繁年も好評。小林敏也の水色の美しいこと!(パロル舎)飾っておきたいような絵だ。文章がついていなくても、この絵そのものにうっとりと引き込まれそう。 中で1冊、異色だったのが福武書店版、安藤徳香。深海を想わせる暗青が基調の表紙からしてまず雰囲気が違う。スーパーリアリズムの手法で描かれる水底の世界。 これまで私は、スーパーリアリズムを絵本で使うことにはどちらかというと否定的だった。ブロークンコンソートを狙うために冒頭に1、2枚だけ口絵を挟み込むとか、表紙のみとか、ワンポイントリリーフ的な使い方ならともかく、読み手が想像力をはばたかせるべき絵本で主役に躍り出るのはどうなの、と。絵であるより説明であるほうが勝ちすぎないか、と。 しかしこの本は、この挿絵は違った。「波から来る光の網が、底の白い磐の上で美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました」を隈なく描ききるために、スーパーリアリズムはむしろ選ばれているのだ。水底から見上げたときのあの水面の揺らぎはこの方法でしか捕えることができないと。(安藤がもう1冊だけ描いている昔話絵本『おにの子こづな』は古典的な手法が使われていて、ぱっと見、同一人物には思えないほどだ。) 『やまなし』を字面で追っても、朗読してもらっても、わかるようでわからないままだったのは、川の上から光のちらちら越しにのぞきこむような読み方を私がしていたからだったのだということがようやっとわかる。蟹の子のいる水底の砂に共に足をつけ、一緒になって目を伸ばして魚影を見上げ、光の網をからだに受け、口から泡をぷくぷく吹き出さなければいけなかったのだ。そしてそれを体感させてくれる絵本こそ、この安藤版であった。 5年生で自分の子のクラスに1日だけ入りたいとギリギリのタイミングで手を上げてくれた方が、演劇経験者であるというので『やまなし』をこの絵本でやってみてもらうことにする。見本ということで、説明会ではまず私が読んでみる。この絵の呼吸にあわせ、水温を感じ、水の流れを感じながら読んでみるとどうだろう、抽象的で少し遠かった世界が、なまなましく立ちあがってくる。魚をつきさすようにして連れ去った黒いコンパスみたいなものはとにかくおそろしく、とぷんと落ちてきた大きくて丸いものは豊かにかぐわしくも芳醇。こんなにも息づくいのちというもの、その営み。子どもたちの不安をがっしり受け止めるお父さんも頼もしい。ああ、こんなにもよくわかる。 角川文庫版の早坂暁の解説を読むと、「わたくしにもわからない」というのは法華経の教えを物語に潜ませた部分に関して、子どもはまだわからなくていいし、私も御仏の教えを理解しきっているわけではないんですよ、という意味で書いたものだとしている。私は仏教をきちんと学んだことはないけれど(神社の中ではいちばん仏教と積極的にタッグを組んだところの子どもなのに)、少なくとも『やまなし』のテーマが「いのち」であることだけははっきりとわかった。『蟹の子』ではなく『やまなし』がタイトルとなっている重み。何日か経たないと味わえないやまなしの実は、蟹の子たちにとっての希望であり未来だ。 そんな喜ばしさを胸に、家で今度はゼロに向かって読んでみる。3歳児のよろこびようにつきあって読めば、クラムボンは水面をチラチラする光の反射を蟹の子たちが擬人化して遊んでいるものだという気がしてきた。光のような影のような泡のような、そしてそのどれでもないもの。弟蟹の「知らない」はそう、ゼロの言いまわしと一緒、「どう言ったらいいかよくわからないんだよ」という意味だ。 …というわけで、今この絵本はゼロくん第一の愛読書であります。「カニ、本、よんで!」と毎晩持ってきます(読書週間で使う分の借り出しとは別に、古本を急いで手に入れました)。 追記:この『やまなし』の朗読が最初のクライマックスである朗読マンガ『花もて語れ』について、翌日に記事があります(こちら)。カテゴリは「読書週間スペシャル」ではなく「コミック」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.11.09 19:22:57
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