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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.08.01
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カテゴリ:正岡子規

 
 明治30年1月31日、子規は叔父の大原恒徳宛ての手紙の中で「先日は山淑魚御送り被下難有奉存候。頃日、胃も大分よくなり肺も変わり無之」と送付のお礼を綴っています。
 おそらく恒徳は、子規の健康回復を願って、サンショウウオを送ったのでしょう。子規が、このサンショウウオを黒焼きにしたのか、煎じたのか、その処方は分かっていません。
 山椒魚は、体にサンショウに似た香りがあるためにその名がつきました。生命力が強く、半分に切られても生きていることから「ハンザキ」という地域もあり、その強い生命力から不老長寿の薬や精力剤として活用されてき他のです。
 
 江戸時代の百科事典『本朝食鑑』には「魚へんに帝」と書いて、サンショウウオを「てい」と読んでいます。「按ずるに、テイは山椒魚と辞む。山椒の樹皮をかぶっているような魚なので、こう名づけるのか。古訓では波志加美(はじかみ)魚。……サンショウウオは谷間にすんでいる。頭面は鯰(ナマズ)・鯸(フグ)のようで、微小(ちいさ)い。啄は尖り、腹は重く垂れ下がって嚢(ふくろ)のようである。身は浅紫色で鱗がなく、黒点斑がある。声は嬰児の啼くようで、四足をもっていてよく走り、樹にも上れる。もし見失ったらもうさがせない。丹波・但馬、および西北州の山川にいる。江東にも希にいる」とあり、肉の味は「甘平。無毒」、効用は「一般に能く労瘵(つかれ)・久嗽を療すという。あるいは疫邪を除くともいう。洛人(みやこびと)は能く噎嗝(しょくつかえ)を療すというが、予は未だ試していない」とあります。筆者の人見必大は、サンショウウオを食べたことがなかったのです。
 

 
 江戸時代の各地の名産を紹介した『日本山海名産図会』には、「渓澗(たに)水に生ず。牛尾(こち)魚に似て口大なり。茶褐色にして甲に斑文あり。能く
水を離れて陸地を行く。大なるものは三尺斗、甚だ山椒の気あり。また淑樹に上り樹の皮を採り食(う)。この魚畜おけば、夜啼て小児の声のごとく、性至て強き物にて常に小池(せんすい)に畜い、用ゆベき時その半身を截断、その半をまた小池へ放ちおけば自ずから肉を生じ元の全身となる。故に作州の方言にハンザキという。またその去たる皮も久しくしてなお動(うごく)なりといえり。別に一種箱根の山栂魚というものあり。小魚なり。越後にてセンガンウオという。その形イモリに似て腹も赤し。故にアカハラともいう。乾物として出し、小児の疳虫を治す。物理小識、閩高の源に黒魚ありとはこれなり。今相州、信州経井沢、和田の辺より出る物も、かのいもりのごとき物にて、夜る滝の左右の岩をよじのぼるなり。土人、これを採るに木綿袋にて玉網のごときものの底を巾着のロのごとくにして松明を照して魚の上るを候(うかが)い、袋をさし附て自ずから入るを取りて袋の尻を解き壷へ納む。また丹波、但馬、土佐よりも出せり」とあります。
 
 このサンショウウオを食べたことがあるのが、漫画「美味しんぼ」の登場人物・海原雄山のモデルになった北大路魯山人です。魯山人は『山椒魚』というエッセイで、サンショウウオの味を紹介しています。ところが、あのグロテスクな体に似合わず、めっぽう旨いといいます。「すっぽんとふぐの合の子と言ったら妙な比喩であるが、まあそのくらいの位置にある美味と言うことができようか。すっぽんも相当美味いが、すっぽんには一種の臭みがある。山椒魚はすっぽんのアクを抜いたような、すっきりした上品な味である」という次第です。
 魯山人のサンショウウオの調理法は「まずはらわたを除いたら、塩でヌメヌメを拭い去り、一度水洗いして、次に塩を揉み込むようにして肉を清める。こうして再び水洗いして、三、四分ぐらいの厚さの切り身にする。汁は酒を加え、丸しょうがとねぎを入れて、ゆっくり煮る」というもので、「山椒魚は肉も美味いが、ゼラチン質の分厚な皮がとびきり美味い。すっぽんで言えば、あのペラペラしたところに当るわけであるが、それよりモチモチしていて品の高いものがある。山椒魚を裂くと、山椒の香りがすると書いたが、この香りは、なべに入れて煮ていくうちに、段々消え去ってしまう」と、その味をさらに賛美しています。
 
 ひとつ変ったたべものの話をしよう。
 長い間には、ずいぶんいろいろなものを食ったが、いわゆる悪食の中には、そう美味いものはない。
「変ったたべものの中で美味いものは?」
 と問われるなら、さしずめ山椒魚と答えておこう。
 山椒魚を食うのは、決して悪食ではないが、ご承知のように山椒魚は、保護動物として捕獲を禁止されている上に、どこにもいるというものでないから、滅多に人の口に入らない。その意味から言って、山椒魚は文字通りの珍味であると言えよう。
 でも、私が山椒魚を珍味と言うのは、単に珍しいという点ばかりではない。いくら珍しくとも、美味くなければ珍味とは言えない。世の中には珍しがられていても、美味くないしろものがいくらもある。ところが、山椒魚は珍しくて美味い。それゆえにこそ、名実ともに珍味に価すると言えよう。
 大分前の話になるが、旧明治座前の八新の主人が、山椒魚料理の体験談を聞かせてくれたことがある。その話の中で、
「山椒魚を殺すには、すりこぎで頭部に一撃を食らわせるんですが、断末魔に、キューと悲鳴をあげる。あの声は、なんとも言えない薄気味悪いもんですな」
 と、心から気味悪そうに語った。
 中国の『蜀志』という本には、
「山椒魚は木に縛りつけ、棒で叩いて料理する」
 と出ているということであるが、山椒魚の料理法など知っているものは、そういないだろう。私も初めて山椒魚を料理するときには、この話を思い出し、その伝でやってみた。
 震災前のことだから、大分古い話になるが、水産講習所の所長をしておられた伊谷二郎という人が、山椒魚を三匹手に入れたというので、そのうちの一匹を私に贈ってくれたことがあった。二尺ぐらいのものであったろうか、大体がグロテスクな恰好をしているし、肌もちょっと見は、いかにも気持の悪いものであるが、俎の上に載せてみると、それほど気味悪くは感じない。ガマのような嫌な気はしない。
 八新の主人公の伝で、頭にカンと一撃を食らわすと、簡単にまいって、腹を裂いたとたんに、山椒の匂いがプーンとした。腹の内部は、思いがけなくきれいなものであった。肉も非常に美しい。さすが深山の清水の中に育ったものだという気がした。そればかりでなく、腹を裂き、肉を切るに従って、芬々(ふんぷん)たる山椒の芳香が、厨房からまたたく間に家中にひろがり、家全体が山椒の芳香につつまれてしまった。おそらく山椒魚の名はこんなところからつけられたのだろう。
 それから、皮、肉をブツ切りにして、すっぽんを煮るときのように煮てはみたが、なかなかどうして、簡単に煮えない。煮えないどころか、一旦はコチコチに固くなる。それから長いこと煮たが、一向やわらかくならない。二、三時間煮たが、なお固い。
 ともかく、長いこと煮て、ようやく歯が立つようになったので、ひと口食ってみたら、味はすっぽんを品よくしたような味で、非常に美味であった。汁もまた美味かった。
 すっぽんとふぐの合の子と言ったら妙な比喩であるが、まあそのくらいの位置にある美味と言うことができようか。すっぽんも相当美味いが、すっぽんには一種の臭みがある。山椒魚はすっぽんのアクを抜いたような、すっきりした上品な味である。
 きのうの味を忘れかね、次の日また食ってみたら、一層美味いのにはびっくりした。長いこと煮てなお固かったものが、ひとたび冷めてみると、ふしぎなことに非常にやわらかくなる。皮などトロトロになっている。そして、汁も翌日のほうがはるかに美味い。(山椒魚 北大路魯山人)
 
 子規は、一言もサンショウウオの味について触れていません。食いしん坊である子規が食べたとしたら、その味をどこかに記しているはずです。もしかしたら、サンショウウオがかわいそうになって、逃がしてやったのかもしれません。あるいは、食わず嫌いだった可能性もあります。





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最終更新日  2018.08.01 00:10:10
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