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カテゴリ:夏目漱石
埋火や南京茶碗塩煎餅 漱石 漱石は煎餅の類が好きでした。明治42(1909)年10月16日の日記には、京都に行った漱石が食べたものが出てきます。「八つ橋。豆ねじ。塩煎餅を食う」とあり、食事をそっちのけで、煎餅系の菓子をかじっています。 『吾輩は猫である』には、猫の夢の中に煎餅が登場します。「ある日の午後、吾輩は例のごとく椽側へ出て午睡をして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉を持って来いというと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷亭が来たから、迷亭に雁が食いたい、雁鍋へ行って誂えて来いというと、蕪の香の物と、塩煎餅といっしょに召し上がりますと雁の味が致しますと例のごとく茶羅ッ鉾をいうから、大きな口をあいて、うーと唸って嚇かしてやったら、迷亭は蒼くなって山下の雁鍋は廃業致しましたがいかが取り計らいましょうかといった。(吾輩は猫である 8)」とありますが、果たして蕪の漬物と塩煎餅を一緒に食べると、雁の味がするのでしょうか。 『永日小品』の「柿」には「喜いちゃんは、これがために滅多に表へ出て遊んだ事がない。もっとも近所はあまり上等でない。前に塩煎餅屋がある。その隣に瓦師がある。少し先へ行くと下駄の歯入と、鋳(いかけ)錠前直(じょうまえなおし)がある」と、この商品の主人公の家の近くに、あまり上等でない塩煎餅屋があると書いています。 門人たちの書いた文にも塩煎餅が登場します。歌人の守能断腸花は、胃病をわずらっていた漱石なのですが、平気でぽりぽりと塩煎餅を食べる様子を描写しています。また、津田青楓の兄・西川一草亭も、妻の鏡子に頼み込む漱石の姿を描写しています。 漱石は、病気のことよりも塩煎餅を食べていたかったようです。 秋の日はまたたく間に夜気を見せた。静かな眠りに落ちていた先生は皆の話声に目を覚された。毛布を掻きのけてやおら起きられた先生は直ちに威儀を正されてまぶしそうについたばかりの電灯を見上げられた。すると先生は懐中に手を入れられて何か探し物をされた。腹の底から引ずり出されるようにして先生の手に見えたものは物古びたお粗末の懐中時計であった。片側の凸凹した跡が淋しく自分の目に映た(先日城師にこの時計の話をきいたら先生が中学校教師時代から持て居られたものであると教えて下すった)。先生はじっと時間を見られながら傍にあったハンケチの小さい包みを取り上げた。包を開いて取りだされたものは秋の夜の灯にはあまり淋し過ぎる一個の薬瓶であった。大病後の先生はこうして片時も薬を離さずにいるのであった。先生は瓶を二、三度振られた。そして喇叭飲み式に瓶の口を唇へ当てた。病後のせいか普通の人より特に突起して見えた先生の咽喉仏は薬を飲み下ろす毎にぐりぐり活発な廻転運動をした。そして今度は運座の茶菓子に盛られた細かい塩せんぺいの盆を膝元へ引寄せられそれをぽりぽりと旨そうに召し上られた。自分は大病後のお体であんな堅いものをたべられて差支えないものだろうかとはらはらしながら心配していた。先生は一向そんなことには無頓着にお盆の上へ顔を蓋するようにして盛んに塩せんぺいを味われていた。(漱石先生と運座 守能断腸花) この時の滞在は先生の病気が再発して、意外に長引いたけれども、一時心配した程の危機は去って漸次快方に向われた。ある日大嘉の次の間で東京から看護に来られた奥さんと津田と三人で、すしか何かを食べていたら「皆何を食っているのか、おれにも食わせろ」といってどなられたので、奥さんがしぶしぶ煎餅を半分病床に持って行かれた。すると、「半分はひどい、せめて一枚くれ」という調子で、一代の文豪も病気にかかっては子供のように意気地がなかった。(漱石の書と花の会 西川一草亭)
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最終更新日
2018.08.08 00:10:07
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