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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.08.07
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カテゴリ:正岡子規

 
 明治35(1902)年2月11日、下総国(現茨城県)の長塚節から一羽の兎が子規のもとに贈られてきました。さっそく伊藤左千夫が庖丁の音をカツカツと鳴らしてさばき、河東碧梧桐と寒川鼠骨らと食べました。子規は、炙った背中の肉を食べ、旨いと呟きます。残りを秀真に食べさせてやりたいのですが、家が遠いので呼ぶことができません。赤木格堂も岡麓も、この至福にありつけないのが可哀想だと子規は思いました。
 この時のようすを詠ったのが次の長歌「煮兎憶諸友」で、三月二十四日付の「日本」新聞に掲載されました。
 
   下総の節のもとゆ
   贈り来し柔毛兎を
   厨刀音かつかつと
   牛かひの左千夫がほふり
   ふた股の太けきを煮て
   桐の舎(碧梧桐)と陽光(鼠骨)ぞ食す
   あなうまそびらの肉の
   炙れるを病む我取らん
   残れるを秀真もがもな
   家遠み呼ぶすべをなみ
   もみぢ葉の赤木も岡も
   あはれ幸なし」という
 

 
 節は、前年1月に雉、2月と9月に田雀、9月に鴫といった鳥獣を送っています。
 明治以前、こうした野鳥や兎は、肉食の範疇に入りませんでした。牛、馬、豚、鶏といった獣肉食は、禁忌の対象でしたが、野鳥は普通に食べられていました。兎はよく跳ねるために鳥と同列だと考えられたのか、これも禁忌の対象ではありません。たとえ禁忌であっても、江戸時代には「ももんじ屋」で「薬喰い」と称し、獣の肉を食べていました。名目は滋養のための食事ですが、なかには牛や馬の肉のおいしさに魅了された人々もいたようです。
 子規の身体を健康にするために、節が考えたのが、こうしたジビエ食を送ることだったのでしょう。子規は、牛鍋やビフテキも好んで食べましたが、鄙に住む節には、最適の贈り物だったのでしょう。
 
 以下に子規の節に送ったお礼の手紙を記します。
 
明治33年4月21日
   年の夜の鰯のかしらさすといふたらの木の芽をゆてゝくひけり
   竹むらにかくれて生ふる山椒の芽のからくも君にこひわたるかも
 
明治33年9月29日
   君がくれた栗だと思ふとうまいよ
 
明治33年11月21日
 鶏汁闇頭会は廿三日(新嘗祭)に繰り上ぐ。
 秀真氏へ通知を乞。
 
明治34年1月30日
梅の歌三日頃までに御贈被下度候。
雉一羽おくり下されありかたく候。ビステキのように焼てたべ候。
 
明治34年2月
田雀とやら難有候。おとといもたべ候。きのうもたべ候。今日もたべ候。
   下総の結城の小田の田雀は友うしなひてさふしらに啼
 
明治34年4月13日
一、木の芽 二折
右たしかに受領忝存候。
 
明治34年5月20日
苗代茱萸難有候。あれは普通の苗代くみにあらず。あるいは西洋ぐみというものか。
 
明治34年8月10日
水戸の名物梅羊羹難有候。
 
明治34年9月〔20〕日
 栗ありがたく候。
   真心の虫喰ひ栗をもらひたり
 鴫三羽ありがたく候
   淋しさの三羽減りけり鴫の秋
 
明治34年12月11日
蜂屋柿四十速に届き申候。一つも潰れたる者無之候。右御礼旁。
 
明治34年12月22日
菓子水戸より相とどき候。御礼旁受取御報まで。
 
明治35年4月28日
一、野兎  一匹
一、ひしほ 夫婦餅 つくはね
一、木の葉
一、ねり梅
 右下されありがたく候。一度に御礼申上候。
 小生近来煩悶はげしく、はなはだこまり居候処、今日は何故か心持殊の外よろしく、手帋などしたため申候。書もかき申候。庭の寒牡丹昨冬咲かず、却て今春蕾もち開きかけ候由なれど、寐床からは見え不申候。
 このころは募集の歌来らず。如何のこをにや。
 
明治35年6月24日
 拝啓。桑の実今朝到着。皆潰れてだめに相成候。しかし久しぶりにて少々味い申候。御厚意多謝。この種の物を郵送するには、枝葉のままにて「ブリキカン」に詰めるを第一と致候。あるいは蕎麦などまぜるもよろしかるべく候。多少の間隙なくては潰れ可申候。
 
明治35年7月31日
やまべという肴、山の如く難有候。但し尽くくさりて蛆湧き候は如何にも残念に存候。量は左まで沢山ならずとも、腹をあけて焼いて日に干してというだけの手数を取てもらうとよかった。
もっとも、よろしき部分少々とりて食し試み候に極めてうまく候。この魚は一般にはえ、またははや(鮠)と申候。苗代茱萸は畧完全に参り候。
 
明治35年8月18日
やまといもありがたくぞんし候。つまらぬ御かし、すこしさし上候。小づつみにて
 
明治35年8月19日
 只今、君にもろた大和芋(一般につぐ芋という。つぐ芋山水などいうことを君は知らぬか)を食いながらつくづく考えた。この芋が君の村で今始めて植えたという程なら、君の村は実に開けておらぬ野蛮村に違いない。恐らくは小学校もないであろう。もし尋常校があるなら、高等校はないであろう。兎に角、子供は学校にも行かないで鼻垂れているのが多いであろう。従って農芸などは、少しも進歩していないであろう。思うに、君の村では君の家一けんだけ比較的開けていて、他は尽く野蛮なのに違いない。そこで僕の考えるには君には大責任がある。それは君は自ら率先して君の村を開かねばならぬ。学校も立てるが善い。村民の子弟の少し俊秀ともいうべき者あらば、君は学費を出して(もしくは村費を出して〕東京へでも水戸へでも出し、簡易農学校位を修業させてやるが善い。その外農談会とか、幻燈会とかを開いて、村民に智識を与えねばならぬ。委細は面会の節話すべし。
 一家の私事だけでも忙しいというような能無しでは役に立たぬ。その傍で一村の経営位には任じなくては行かぬ。
 君は東京へ出て来ることを道楽か何かのように思うておるか知らぬが、それは大間違いだ。時々東京へ来て、益を得て帰るやうに務めなくてはならぬ。田舎に引込んでしまって、それで忙しいなどといっているようでは困る。
 僕などへ物を贈らるるには珍しいものを要せぬ。水戸の名菓などよりは、君が手づくりの大根か蕪の方が善い。今度のやまと芋の如きは甚だありがたく感ずる。





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最終更新日  2018.08.07 00:10:11
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