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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.08.10
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カテゴリ:夏目漱石

 
 食通で知られる小島政二郎が『食いしん坊1』に、漱石のエピソードを記しています。漱石の門人で芥川龍之介らと交流のあった劇作家・岡栄一郎が漱石に和菓子を届けた時のことです。栄一郎は、石川県出身なので、故郷のあたりで知られた金沢森川の銘菓「長生殿」を届けたのですが、お菓子について何もいってくれません。漱石はあまり感動しなかったらしく、東京でどこの菓子がうまいかと聞くと「越後屋」の名前を出しました。
 ただ、晩年の漱石は「長生殿」のことは知っていました。大正4年7月14日、漱石は金沢の大谷繞石宛にお礼の手紙を送り、「あれは頗る上品な菓子で、東京には御座いません、家族のものと風味致します」と書いています。
※森八については​こちら
 
 小島政二郎も「越後屋」はお気に入りで、同書にも「食べ物は、東京より上方の方がうまい。菓子も然り。しかし、大地震前までは-大負けに負けて戦争前までは、東京にもうまい菓子屋があった。例えば、本所一つ目の越後屋、日本橋の三橋堂、上野山下の空也、お成街道のうさぎや」と、「越後屋」の名前を挙げています。
 

 
「越後屋」は、現在も墨田区千歳で営業を続けており、正式な名前を「越後屋若狭」と言います。創業は、元文5(1740)年頃(明和2年の説あり)といわれ、江戸創業の和菓子屋としてはおそらく最も歴史ある店のひとつです。文政7(1824)年に刊行された『江戸買物独案内』には「本所一之橋角 越後屋若狭」と紹介されています。特に、水羊羹が知られていて、現在でも完全予約制となっています。小島政二郎は、突然買いに行っても売ってくれないことに苛立ちを感じていましたが、やはりその味には魅了されていたようで、「越後屋の甘くない甘さの洗練されたデリカシーは何に例えよう。まさに江戸の味だ。宣伝一つせず、大きな声一つせず、低い声でヒタヒタと話して行って一座を魅了してしまう地味な名人上手の落語家が明治年間にはいたものだ。そう言った芸人の芸と一脈通じるものがある。あり来たりの小豆と、砂糖と、水とで、類と真似手のない洗練された高い味を練り出す不思議な職人の技。職人の仕事が、高い芸術品を生み出すある一線。久振りで東京でなければ味わえない淡泊なお菓子を口にすることが出来て、私は二三日楽しかった。(食いしん坊)」と、その味を手放しで褒めています。
 
 徳田秋声の親戚に岡栄一郎という金沢生まれの戯曲家志望の青年がいた。帝大出で、芥川、菊池、久米などと友達だった。この岡が、自慢で金沢の森八の菓子を土産に持って漱石先生を訪れた。
 その後、漱石先生の批評が聞きたくってまた尋ねたところが、この間の菓子はうまかったともまずかったとも言わない。で、岡が恐る恐る伺いを立てたところ、大して賞味したらしくもない口振りだった。岡が、では東京ではどこの菓子がうまいのかと聞いたところ、漱石は、「越後屋だろうね」と言ったというのだ。私など、まだ小説を一つか二つしか書いていなかった頃の話である。
 ところが、この家がいやな家で、何かを鼻に掛けて、我々が買いに行ったのでは売ってくれない。一つ目には私の叔父が住んでいて、越後屋と懇意だというので、その伝手を求めて買いに行っても、フリでは売ってくれない。今日行って頼んで、二三日後に取りに行ってやっと売ってもらえると言った塩梅だった。実に生意気な店だった。が、うまいことはうまかった。その後、村松梢風の家の隣に、外交官の山座円次郎の未亡人が住んでいて、これが秩父ノ宮家の何かの先生で、祇候すると越後屋のお菓子を頂いて帰って来る。それを村松のところへお裾分けをしてくれる、それをまたお裾分けをしてもらって食べ食べした。五つや六つは、お茶を飲まずに賞味できた。(小島政二郎 食いしん坊)





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最終更新日  2018.08.10 00:10:12
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