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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.08.21
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カテゴリ:夏目漱石

 
 漱石の小説に団子が登場するのは『吾輩は猫である』の羽二重団子と、『坊っちゃん』の団子です。
『吾輩は猫である』に登場するのは「羽二重団子」で、「行きましょう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食ったことがありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄辯を揮っているうちに主人はもう帽子を被って沓脱へ下りる」と、寒月オススメの団子です。
『坊っちゃん』には「ある晩道後という所へ行って団子を食った。この道後という所は温泉のある町で、城下から汽車だと十分ばかり徒歩で三十分で行かれる料理屋も温泉宿も、公園もあるうえに遊郭がある。おれの這入った団子屋は遊郭の入口にあって大変うまいという評判だから温泉の帰りがけに一寸食って見た。今度は誰も知るまいと思って翌日すました顔をして学校に行って見ると、一時間目の教室へ這入ると団子二皿七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払った」とあり、本来は湯ざらし団子だったのですが、一世紀以上も時代が過ぎると、「坊っちゃん団子」は三色団子に様変わりしています。
※羽二重団子については​こちら
※坊っちゃん団子については​こちら
 

 
 漱石は、小説の手法を、門下の松岡譲に説明したことがあります。その方法とは、話の展開の中で埋め込んだ芋を掘り出すように展開させるというのです。その手法をとったのが『明暗』なのですが、残念ながら漱石の市で未完に終わってしまいました。
 譲は、無理やり団子のように串刺しにして組織を作るやり方を漱石が嫌っていたことを思い出します。漱石の小説にも、たまにこの串刺し方式のものがあるのですが、唐突にすべてのものを関連づけるのはなかなか無理があるようです。色々なエピソードを無理やりに一本の串で繋げる団子の串刺し方式は、小説家や脚本家にとっては、あまり推奨できない方法なのです。
 ジョージ・ルーカスの映画「アメリカン・グラフィティ」がこの団子の串刺し方式だったのですが、強引なオールディズの使い方が強力な串になったのか、大ヒットとなってルーカスの名を高めました。
 
 先生が『朝日新聞』に『明暗』を大分書き進まれた頃のことである。武者小路氏がある雑誌に、漱石のものは、初めは何だかだらだらしてるように思いながらも、手法の巧さにつり込まれて読んで行くうちに、後の方へ来ると、きまってどっかでどかんと読者の胸を打つものがあって、それで全篇がたまらなくよく生きて来る。『それから』然り、『行人』然り、『心』然りだが、この『明暗』はいつものその漱石に似ず、妙に思はせ振りにだらだらしていて、今か今かと待ってるが、一向それらしい処も出て来ない、先へ行って例のとおりどかっと来るのかも知れないが、今のところ甚だ面白くないという意味の感想を書いていた。それがある木曜会(木曜日が面会日になっていて、その夜門下が山房に集まったものである)の席上で誰が言い出したのか問題になった。すると先生もその批評はすでに読んでおられて言われるには、武者小路君あたりはロシアの作家などの影響で、小説の形式を発端から結末に近くに随って事件が段々発展して行く、いわば三角形の頂点から底辺の方に向って末広がりに発展して行く形式ばかりを考えてるのかも知れないが、その逆の形式、即ち底辺の方から頂点の方へとすぽまって行く形式もあり得る。自分のこの小説(明暗)はその形式を行くもので、随所に埋めてある芋を、段々に掘り出しながら行く(この時先生は口のあたりに独特の微笑を見せて、芋を掘り出す手付きをされた)ことになっているのだから、その作者の意図を考えもせずに批評するのでは困る。一体あの人達といわず今の文壇全体が一種の恐露病に罹っていて、そうした囚われた尺度でもって一律に作品をはかりたがるが、それ以外にも作品の形成なり傾向なりは充分ある筈だ。こんな意味の事を言ってられたことがある。その時の芋を掘るといわれた時の手付が今でも時々目に浮ぶ。
 この芋の話で思い出すのは団子の話である。文部省で文芸委員会といったフランスのアカデミーまがいのものを組織して、その事業の一つとして、各委員分担で、各国の名作を日本語に移すなどということがあり、その委員にという交渉を受けられて先生が断られた時に、先生はこんな事をいっておられた。文部省という串が、こう委員という団子をさしならべるのさ。(この時も先生は串で団子をさす手付をされた)誰かその一粒の団子に甘んぜんやだねといって笑っておられたことがある。まちまちの団子が串に貰かれて結局何を仕出来したかは、鷗外博士の『ファウスト』一篇を除いたら少々虫眼鏡物だ。(『明暗』の頃 松岡譲)





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最終更新日  2018.08.21 00:10:10
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