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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.08.28
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カテゴリ:夏目漱石

 
 明治42年9月6日、下戸の漱石ですが、酒場の雰囲気は好きだったようで、せっかく満州に来たのだからとハルピンのバーに行きました。案内役は満鉄総裁の中村是公です。
 バーに行く前に舞踏会に寄ったのですが、是公が「倶楽部に連れて行ってやろう」といいます。というのも、是公はこの倶楽部の会長なのでした。
 しかし、結構遅かったためか、人も少なく、ビリヤードやポーカーをするところにも誰もいません。漱石は、それからバーに行きました。日記によれば、漱石は「ジンコーク」を飲んでいます。12時まで飲んでいて、時計がなったので倶楽部からホテルに帰ります。漱石のシンデレラ・リバティはこれで終わったのでした。
 
 翌日、漱石たちは、中央試験場へ向かいます。ここでは大豆の油を絞って、オリーブオイルのようにしようとしているのですが、なかなか油にならないということを聞きました。漱石は、自分の胃の悪いのも気にかけず、この油で天ぷらをしたらどうなるかと聞くと、できるといいます。豆油で揚げた天ぷらが食べてみたいと思った漱石でした。
 
 この試験場では、他に石鹸や柞蚕(さくさん)から取った糸の実験も行なっています。
 漱石が酒を嗜むと思ったのか、試験場の人が高粱酒(こうりょうしゅ)の利き酒を進めたので、漱石は「いや御酒はたくさんです」と断わりました。ジアスターゼで知られる高峰譲吉がこの研究所へ来て、高粱からウィスキーを採る研究をしていたそうです。「ウィスキーがこの試験場でできるようになったら是公がさぞ喜んで飲むことだろう」と思う漱石でしたが、本当はジアスターゼが欲しかったのかもしれません。
 

 
 しばらくすると、今度はこれから倶楽部に連れて行ってやろうと、例のごとく連れて行ってやろうを出し始めた。だいぶ遅いようだとは思ったが、座にある国沢君も、行こうといわれるので、三人で涼しい夜の電灯の下に出た。広い通りを一二丁来ると日本橋である。名は日本橋だけれどもその実は純然たる洋式で、しかも欧洲の中心でなければ見られそうもないほどに、雅にも丈夫にもできている。三人は橋の手前にある一棟の煉瓦造づくりに這入った。誰かいるかなと、玉突場を覗いたが、ただ電灯が明るく点いているだけで玉の鳴る音はしなかった。読書室へ這入ったが、西洋の雑誌が、秩序よく列べてあるばかりで、ページを繰る手の影はどこにも見えなかった。将棋歌留多をやる所へ這入って腰をかけて見たが、三人の尻をおろしたほかは、椅子も洋卓もことごとく空ていた。今日は遅いので西洋人がいないからつまらないと是公がいう。是公の会話の下手な事は天品というくらいなものだから、不思議に思って、御前は平生ここに出入でいりして赤髯と交際するのかと聞いたら、まあ来たことはないなと澄ましている。それじゃ西洋人がいなくってつまらないどころか、いなくって仕合せなくらいなものだろうと聞いて見ると、それでもおれはこの倶楽部の会長だよ、出席しないでも好いという条件で会長になったんだと呑気な説明をした。
 会員の名札はなるほど外国流の綴りが多い。国沢君は大きな本を拡げて、余の姓名を書き込ました上、是公に君ここへと催促した。是公はよろしいと答えて、自分の名の前に proposed by と付けた。それへ国沢君が、同じく seconded by と加えてくれたので、大連滞在中はいつでも、倶楽部クラブに出入する資格ができた。
 それから三人でバーへ行った。バーは支那人がやっている。英語だか支那語だか日本語だか分らない言葉で注文を通して、妙に赤い酒を飲みながら話をした。酔って外へ出ると濃い空がますます濃く澄み渡って、見た事のない深い高さの裡うちに星の光を認めた。国沢君がわざわざホテルの玄関まで送られた。玄関を入ると、正面の時計がちょうど十二時を打った。国沢君はこの十二時を聞きながら、では御休みなさいと云って、戻られた。(満韓ところどころ 7)
 
 これが豆油の精製しない方で、こっちが精製した方です。色が違うばかりじゃない、香も少し変っています。嗅いで御覧なさいと技師が注意するので嗅いで見た。
 用いる途ですか、まあ料理用ですね。外国では動物性の油が高価ですから、こう云うのができたら便利でしょう。第一大変安いのです。これでオリーブ油の何分の一にしか当らないんだから。そうして効用は両方共ほぼ同じです。その点から見てもはなはだ重宝です。それにこの油の特色は他の植物性のもののように不消化でないです。動物性と同じくらいに消化(こな)れますと云われたので急に豆油がありがたくなった。やはり天麩羅などにできますかと聞くと、無論できますと答えたので、近き将来において一つ豆油の天麩羅を食ってみようと思ってその室を出た。
……
 高粱酒(こうりょうしゅ)を出して洋盃(コップ)に注ぎながら、こっちが普通の方で、こっちが精製した方でと、またやりだしたから、いや御酒はたくさんですと断った。さすが酒好きの是公も高粱酒の比較飲みは、思わしくないと見えて、並製も上製も同じく謝絶した。是公の話によると、この間高峯譲吉(たかみねじょうきち)さんが来て、高粱からウィスキーを採るとか採らないとかしきりに研究していたそうである。ウィスキーがこの試験場でできるようになったら是公がさぞ喜んで飲む事だろう。(満韓ところどころ 9)
 
明治42年9月6日
 朝眼が醒めるとバースから窓の中にジャンクの浮いているのが見える。海はよく晴れて日が照っていた。給仕曰くもう少し行く〔と〕三頭角が見えますと。
 五時頃大連着。
 大きな烟突が見える。検疫が見える。混雑。佐治氏周旋。ヤマトホテルの馬車に乗る。中村の家に行く妻君病気。沼田氏来って色々話す。中村帰らず。ヤマトホテルに行く。入浴。中村来る。後で家に来いという。行く。国沢氏を呼ぶ。一所に倶楽部に行く。ジンコーク何とかいうものを飲む。帰る十二時。国沢氏旅館まで送らる。
 
明治42年9月7日
 大連。中央試験所。豆油。精製 cooking purpose olive oil の九分の一。動物製と同じくdigestible 石鹸 塩水に溶解柞蠶。精製糸。絹の半分。Lottery 高梁酒。電気公園。西公園。射撃揚。税闘。南満鉄道会社。午餐。
 河村氏に就き満鉄事業質問。今夜舞踏会にて食堂を装飾中。雨ふる。車を雇うて帰る。俣野義郎送り来る。腹具合悪く。談話に困却。ソーファーの上に寝る。醒むれば雨霽る。寝室に食事を取り寄せる。浴を命ず。須田綱雄氏来って晩食を共にせんと申出でらる。乍残念謝絶。中村より電話今夜の舞踏会に出席するや否やを問い合せ来る。
 
 日本のバーの発祥は、万延元(1860)年に横浜の外国人居留地に開業した横浜ホテルに設置されたバーです。こうした外国人のためのホテルにはバーが備え付けられてあり、明治3(1870)年に同じく横浜の外国人居留地にできたグランドホテルのバーがよく知られています。このバーから、明治23(1890)年にカクテル「バンブー」が誕生しています。「バンブー」は、ドライシェリー2/3とドライベルモット1/3、オレンジビターズ1振りをステアするカクテルで、グランドホテルの支配人ルイス・エッピンガーが考案されました。
 日本最初のバーとして神谷バーの名前も上がりますが、こちらは明治13(1880)年の開業で、浅草で濁り酒を売っていた「みかはや銘酒店」として誕生し、葡萄酒やブランデーを販売して、明治45(1912)年に店舗を洋風化、名物は「電気ブラン」で、永井荷風や谷崎潤一郎らに愛されました。





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最終更新日  2018.08.31 22:24:53
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