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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2022.01.19
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カテゴリ:正岡子規
 ロンドンの漱石は、留学の成果をどのような本にしようかと考え始めました。
 漱石が菅虎雄に宛てた明治35年2月16日の手紙には「学問も根っからはかどらずすこぶる不景気なり。帰って教師なんかするのは厭でたまらない。いわんや熊本まで帰るにおいてをや。それを考えると英国に生涯いる方が気楽でよろしい。近頃は文学書などは読まない。心理学の本やら進化論の本やらやたらに読む。何か著書をやろうと思うが僕のことだから御流れになるかも知れません」、3月15日の義父・中根重一宛てには「私も当地着後(去年八九月頃より)より一著述を思い立ち、目下日夜読書とノートをとると自己の考を少し宛かくのとを商買に致候。同じ書を著わすなら西洋人の糟粕では詰らない。人に見せても一通はずかしからぬものを存じ励精致居候。しかし問題が如何にも大問題故、わるくすると流れるかと存候よし、首尾よく出来上り候とも二年や三年ではとても成就仕る間敷かと存候。出来上らぬ今日わが著書などことごとしく吹聴致候は、生れぬ赤子に名前をつけて騒ぐようなものに候えども、序故一応申上候。先ず小生の考にては『世界を如何に観るべきやという論より始め、それより人生を如何に解釈すべきやの問題に移り、それより人生の意義目的及びその活力の変化を論じ、次に開化の如何なるものなるやを論じ、開化を構造する諸原素を解剖し、その聯合して発展する方向よりして文芸の開化に及す影響及その何物なるかを論ず』る積りに候。かような大きなこと故、哲学にも歴史にも政治にも心理にも生物学にも進化論にも関係致候故、自分ながらその大胆なるにあきれ候事も有之候えども、思い立候こと故、行く処まで行く積に候」と、その決意をしたためています。
 
 一方、子規は5月5日から『病牀六尺』の連載を始めます。しかし、この年の9月19日午前1時に永眠しました。
 漱石が、この知らせを受け取ったのは11月下旬のこと。漱石は高浜虚子に、子規の死を教えてくれたことへの礼と追悼句を12月1日に送っています。
 
 啓。子規病状は毎度御恵送の『ほととぎす』にて承知致候処、終焉の模様逐一御報被下奉謝候。小生出発の当時より生きて面会致すことは到底叶い申間敷と存候。これは双方とも同じような心持にて別れ候こと故、今更驚きは不致、只々気の毒と申より外なく候。但しかる病苦になやみ候よりも早く往生致す方、あるいは本人の幸福かと存候。倫敦通信の儀は子規存生中慰藉かたがたかき送り候。筆のすさび、取るに足らぬ冗言と御覧被下たく、その後も何かかき送りたしとは存候いしかど、御存じの通りの無精ものにて、その上時間がないとか勉強をせねばならぬなどと生意気なことばかり申し、ついついご無沙汰をしているうちに、故人は白玉楼中の人と化し去り候様の次第、誠に大兄等に対しても申し訳なく、亡友に対しても慚愧の至に候。
 同人生前のことにつき何か書けとの仰せ承知は致し候えども、何をかきてよきや一向わからず、漠然として取り纏めつかぬに閉口致候。
 さて小生来五日いよいよ倫敦発にて帰国の途に上り候えば、着の上久々にて拝顔、種々御物語可仕万事はその節まで御預りと願いたく、この手紙は米国を経て小生よりも四、五日さきに到着致すことと存候。子規追悼の句何かと案じ煩い候えども、かく筒袖姿にてビステキのみ食いおり候者には容易に俳想なるもの出現仕らず、昨夜ストーヴの傍にて左の駄句を得申候。得たると申すよりはむしろ無理やりに得さしめたる次第に候えば、ただ申訳のため御笑草として御覧に入候。近頃の如く半ば西洋人にて半日本人にては甚だ妙ちきりんなものに候。
 文章などかき候ても日本語でかけば西洋語が無茶苦茶に出て参候。また西洋語にてしたため候えばくるしくなりて日本語にしたくなり、何とも始末におえぬ代物と相成候。日本に帰り候えば随分の高襟(ハイカラ)党に有之べく、胸に花を挿して自転車へ乗りて御目にかける位は何でもなく候。
     倫敦にて子規の訃を聞きて
   筒袖や秋の柩にしたがわず
   手向くべき線香もなくて暮の秋
   霧黄なる市に動くや影法師
   きりぎりすの昔を忍び帰るべし
   招かざる薄に帰り来る人ぞ
 皆蕪雑、句をなさず。叱正。(十二月一日、倫敦、漱石拝)





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最終更新日  2022.01.19 19:00:07
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