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2006.07.18
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昨日夫と映画を見てきました。

「日本沈没」です。

前評判はいいと聞いていたものの、タイトルがあまり好きじゃなくて見ようと思っていなかったのに、結局見に行き感動して帰ってきました。

強引に「行こう!」といってくれた夫に感謝♪です。

私は単純なので、「愛する者のために!」というのに簡単に感動してしまいます。

この映画もそうでした。

日本沈没という文字だけみたらなんとも恐ろしい出来事の中で、たくさんの「愛」を感じました。

「映画じゃないか。現実じゃないよ」
という声も聞こえてきそうですが、これが現実になるかならないかは私には関係ありませんでした。

自分を犠牲にすることは好きではないしお勧めもしません。

でもやっぱり本当に愛する者を守るには、自分の命を引き換えにという時はきっと必然的にでてくることもあると思っています。
いえ、「命の引き換え」ではなく「命をあわせる」のです。

「命をあわせる時」というのは、そんじょそこらに転がっているわけではありません。

それこそその辺に転がっていようものなら、今の肉体を持ってして数十年も生きていかれません。
魂は残るといったって生身の肉体はやっぱり不死身ではないもの。愛着のあるこの肉体、使い捨てにするなんてかわいそうなことできません。

「命をあわせる時」― そこに行き着くまでは、多くの葛藤や恐れを経験することでしょう。

でもその葛藤や恐れは恥ずべきものではないし、たとえ結果的に何もできずそこから引き返してしまったとしても弱いだめな人間と思う必要もないし、他人がレッテルを貼ることも出来ないでしょう。

愛するもののために、誰かのために何かできないか・・・。そう思うことだけでもいいじゃぁないですか。

そして、誰も彼もが「命をあわせるべき」ではなく、ちゃんとそうした経験をする準備ができている人が、必然的にその機会にめぐりあうのであって、やっぱり自分の命はまず第一に大切にしていかなくてはいけないのです。


映画の中で、我先にと逃げようとしたり食料を奪いあったり、ドサクサにまぎれて盗んでいくというような光景がありましたが、それは現実の世界でもテレビを通してですが、目にすることがあります。

とっても悲しい光景です。

「いざとなったら誰だってそうなるかも」と思う人もいるでしょう。
そうかもしれません。でもそうならないようにすることもできるのです。

だからこそ、日々の生き方が大切になってくるのです。


思いやること譲り合うこと。

分けあうこと分かち合うこと。

慈しむこと敬うこと。

与え合うこと感謝すること。


愛は、「愛だ愛だ」と叫んでいるところにはなかなか存在しにくいような気がします。

愛は、もっと静かで存在を感じないほど私達にぴったりと寄り添っているもののような気がします。

愛は、私たちそのものだからでしょう。


お金にも気持ちにも余裕があり豊かな生活をしているときに愛を出すことは簡単です。

でも、まさに奪い合うような状況の中で、自分のもっている水や食べ物を皆で分け合うことはとてもむずかしいことです。

だからこそ日々生きていく上で、学んでいくことが必要になってくるのだと思うのです。


ダイビングをしている時、大きなアクシデントがありバディ(一緒に潜るパートナーのこと)がパニックを起こし、私のレギュレーターを加えさせ交互に空気を吸いながら浮上したことがありました。
パニックを起こした人間に、水中で空気を吸わせることは半端じゃなく大変なことです。
呼吸という動作ができなくなるからです。

正直怖かったです。大切な空気が想像以上に早く減っていきますが、それでも浮上には一定の時間をかけなくてはいけないため、残量計を見たくないと思うほどの恐怖感もありました。

パニックを起こした人間を間近で見たのも初めてでした。

でもあの時の私には、とても大きな学びの機会が与えられていたのだと思います。

水面を貫いて差し込む太陽の光が私達を誘導してくれている、そう信じることができましたし不思議と私の体は思うほど酸素を必要としませんでした。

こんな大きな学びは早々あるものではありません。日々の小さな学びを積み重ねていくことが大事だからです。


学びの機会に気づくことができても出来なくてもどっちでもいいんです。すべてが学びですから。

私にとって愛するもののために命をあわせるとき

夫のために、母のために、兄のために。

友のために、そして他の誰かのために。


その日が来たら準備が整っていたら、私は命をあわせたいと思っています。

そういう日が来ないでほしいと思うことも、また正直な私の願いでもあります。






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最終更新日  2006.07.18 18:28:53
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