地球人スピリット・ジャーナル1.0

地球人スピリット・ジャーナル1.0

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OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2

2008.04.29
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カテゴリ:OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2

「究極の旅」 禅の十牛図を語る <1>
Osho  スワミ・プレム・プラブッダ・翻訳 1978/3  501p  めるくまーる 
Vol.2 No.0066
★★★★★

 
某SNSで[OSHO mmp/gnu v0.0.1β]としてスタートしたこの試み、当ブログに移植されて
[ OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 ]という宝石箱に変容してきた。そして、それもこのエントリーで108を迎えることになってしまった。アッというまでもあるが、まだまだ始まりでしかないようでもある。

 当初考えていた「OSHO/gnu0.0.2のための21冊」は十分読み込めたということにはならないが、こういう形で当ブログに登場してきたということでは、ひとつの足がかりを作ったことになる。最初は手当たりしだい目を通していたのだが、次第にOshoの「私の愛した本」がガイド役になってくれた。そして後半はOshoの禅シリーズが次第に重みを増してきたが、この事態は当初あまり予想していなかった。

 Zenといえば、Osho全体がZenともいえるのであり、どこをどう切り取るかという問題でもなさそうだが、整理の関係上、前期、中期、晩期と分けることもできるようだ。当ブログとしては、今後とも
晩期Zenシリーズに焦点を合わせていきたいのだが、前期、晩期とも、ひとつひとつが魅力的である。

 この「0.0.2」で出来たことは、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」にでてきた参考文献リストにほぼ目を通すことができたことくらいだろうか。といっても、まだ読みきれていない本も数冊あるし、あるいは、「永遠の大河」や「ダンマパダ」はまったくの手つかずだ。まぁ、この二冊は必ずしも「禅シリーズ」とは言いがたいが。

 日本語に翻訳されたOsho本だけをまとめた玉川本だけでも、さらに3冊ある。あるいは「OSHO ZEN TAROT」に引用されているZen本も多くある。あるいは他のビデオやテープ、そしてもちろん瞑想そのものについても、記録される必要もある。しかし、あまり手を広げすぎても全体を見失う。いまはともあれ、次の「OSHOagarta/mmp/gnu0.3」へ、未整理のまま突入していこう。

 さて、「究極の旅」。日本で二番目に出版されたOsho本だ。75年に「存在の詩」が出されて、77年に単行本化された。私がインドに行ったときに、Osho本はこの一冊しかなかった。それにつづく「究極の旅」の翻訳を終えたプラブッダが、この時のインドへの旅の
ツアーコーディネーターだった。だから、私がこの本を読んだのはインドでだった。

 尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛、忘牛存人、人牛倶忘、返本還源、入てん垂手・・・と円を結ぶ十牛図。当ブログでは、0.0.1βが尋牛、0.0.2が見跡となっているだろうか。とするなら次の0.3は見牛、となるはずなのだが・・・。


bike7.jpg
<2>につづく







Last updated  2008.04.30 09:05:32
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<4>よりつづく

「一休道歌 下」 <2>
Osho 

 この講話があった77~8年当時のプネ風景を日本語で、読むことのできる文献はそう多くない。好意的であれ否定的であれ、まだまだ世界的にはポッと出の動きでしかなかった。その中でも、当時プネ大学に留学していた立川武蔵のレポートは、否定的ではあるが貴重なものとして残っている。

 Oshoは講話の中で、自分のサニヤシンは5万人と言っているが、そのほとんどはインド人であっただろうし、急増中だったのは、アメリカやドイツなどを中心としたヨーロッパ人が中心だった。日本からやってくる若者たちも多かったが、せいぜい二桁にとどまっていただろう。当時のメモを見てみると、直接名前と顔が繋がる日本人サニヤシンは30人程度である。しかも、西欧の平均年齢30歳前後にくらべ、日本人のそれはさらに5歳ほど若かった。

 この状況の中で語らえた一休は、当然、インド人や西欧人を相手にしているわけだが、日本人へ向けての招待状の意味も持っていただろう。一休を題材にしているが、この講話を読んで、一休についてなにごとか詳しくなるわけでもない。一休を切り口にしてはいるが、テーマは瞑想であったり、これから移動しようとしている新しいコミューンについてなどだ。しかし、一休が言わんとしていたことがなんであったのか、を分かろうとするなら、Oshoはそのことについてダイレクトに語り続けている。

 人々は、私がどうやって一休のことを知るのだろうと不思議に思う。私は一休のことは何も知らない。が、私は自分自身のことを知っている。私が、覚醒したすべてのすべての人を知ることができるのはそこだ。一休、あるいはクリシュナ、あるいはキリストを、ひとりの人物として知ることが問題なのではない。彼らは人物ではない。彼らは<覚醒>の極地だ。もしあなたがさめていたら、あなたに彼らがわかる。p651

 77年、私は、Oshoアシュラムへのダイレクトなツアーでインドに行ったので、一ヶ月後にはサニヤシンになったし、体験といえばそれ以上ないような体験もした。しかし最初、私が行きたかったのは必ずしもOshoの元ではなかった。「インド」に行きたかったのだ。で、滞在ビザ延長の問題で、インドを離れ、また再入国したあとに、戻ったプネは、これこそが私が呼ばれていたものだ、と納得することができた。

 習慣はなかなかしぶとい。あなたはサニヤシンになったかもしれない----。が、これで終わりだと考えてはいけない。これは仕事(ワーク)の始まりだ。今や、多くのことが為されなければならない。それに満足して休んではいけない。

 
 サニヤスは始まりにすぎない----それは、あなたを変容の動乱に投げ入れる。今やあなたは、自分のマインドの溝に深く入ってゆかねばならない。あなたは深く見なければならない。あなたは、あるものがなぜそこにあるのかを見抜かなければならない----なぜか? を。あなたは、その原因を見出さなければならない。
 
 そして、ときとして、その原因を知るだけで、数ある問題の90パーセントが消えることがある。そして、残りの10パーセントに関しては、あなたのエネルギーは別の出口を必要とする。 
p493

 ものごとは始まっていた。しかし、ホントに始まりに過ぎなかった。多くのことが計画されていた。しかし、まだ始まっていないことも多いに違いない。

 私はクチに移転したかった、すべてが計画されていた。だが、国の政策によって、移転することはほとんど不可能になった。私たちが移転できなかったのは、モラルジ・デサイの悪意のせいだ。だが、私がどこに行くか、私の人々がどこに行くのか、私が何をしているかに、いったいなぜこの国の首相が関与しなければならないのか? 私たちはいかなる政策も講じていない----私の人々は世界でもっとも非政治的な人々だ。私たちは、政治はまったく愚劣だと考えている。p657


 じつにまだまだ混沌の坩堝のOshoアシュラムである。

 

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ひとまず、この項<完>







Last updated  2008.04.29 10:31:21
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2008.04.27
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<1>よりつづく 

OSHO ZEN TAROT <2>

 なにはともあれ、Osho・Zenタロットを引いてみる。毎日すこしづつそのヴァイブレーションと波長を合わせる。ひとつひとつのカードの意味もあるし、そのカードの位置も、なにかといわくありげだ。なんども引いていて、位置はあちこちだが、何回かでてきて、まずは、ちょっと気になるカードがこれ。「中途半端なテクニック」と言われてもちょっと困るが、なにごとか、私の中のなにかをヒットするのだろう。




73. Compromise


 抜け目なく器用であってはいけない。さもなければ、あなたは同じままだ。変わりはしない。愛の道における中途半端なテクニックと瞑想の道における中途半端なテクニックは、あなたのなかに多くの混乱を引き起こす。それらは助けにならない......。
だが、助けを求めることはエゴに反する。だから、あなたは妥協しようとする。この妥協はもっと危険なことになる。あなたはさらに混乱することになる。
妥協の結果、さらなる混乱が生じるからだ。だから、なぜ自分は妥協を強く望んでいるのか、理解しようとするがいい。遅かれ早かれ、妥協は助けにならないことが理解できるようになる。それに、妥協はどちらの方向にも行こうとしないやり方なのかもしれないし、自分の混乱を抑圧しているだけなのかもしれない。混乱が頭をもたげてくることになる。なにひとつ抑圧してはいけない。自分の状況をはっきり認識しているがいい。そして、もし混乱しているのだったら、自分は混乱しているのだと覚えておくことだ。これが、あなたに関してまず第一にはっきりしていることだ--つまり、あなたは混乱しているということだ。
あなたは旅を始めたのだ。

解説: 昔、日本の朝廷では、従僕は些細な罪を犯した罪人で去勢されている者のなかから選ばれることがよくありました。彼らは朝廷の動きを知りつくしていたために、しばしば政治的、社会的陰謀の中心にあって、影の権力を大いにふるっていたのです。このカードのふたりの人物は、私たちが自分自身の真実を妥協させてしまったときに入り込んでしまう、あさはかな茶番劇のような状況を思い出させてくれます。歩み寄り、自分たちとは違う見地を理解し、反対勢力との調和を目指して働くことと、「屈服し」、自分の真実に背くこととは、まったく別です。それを深く見抜いたら、私たちはなにかを--権力であれ、他者からの承認であれ --なにかを得ようとしているのだということがよくわかってきます。誘惑されそうになったら、気をつけましょう。この手の妥協で得られるものは、後味が苦いのが常です。

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<3>につづく







Last updated  2011.12.09 09:32:23
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2008.04.26
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<上>巻よりつづく

「一休道歌 下」
Osho スワミ・アナンド・モンジュ翻訳 1988/01 めるくまーる 692p
Vol.2 No.0063
★★★★★


 
先日、アループが誰かに言っていた。「重苦しい話だわ。でもOshoはこのシリーズを”気楽にゆこう(テイク・イット・イージー)”なんて名づけているのよ!」
 私がそれを”テイク・イット・イージー”と名づけたのはそのためだ。それは楽ではない。それを受け取ることはむずかしい。それを受け取ることはほとんど不可能だ。なぜなら、それはあなたの生のパターンをことごとく打ち砕くからだ。それはあなたの生のパターンをことごとく打ち砕くからだ。それは楽ではない。だからこそ、私はこのシリーズ全体を”テイク・イット・イージー”と呼んだのだ。真実とは、その矛盾もまた真実だということだ。
p84

 たしかに気楽ではない。この講話があった時期、私はプネ1にいた。私はこの講話を聞いていたのだろうか。具体的にはなにも思い出せない。直前、私は、インドの滞在ビザが延長できず、一回スリランカに出て日本山妙法寺の藤井日達上人のもとで南無妙法蓮華経の一ヶ月をすごし、ゆっくり南インドを旅しながら、プネに戻ってきたところだった。そして、その後、友人Sンベダンと連れあって北インド、東インドの旅にでた。

 24歳の青年にとって、Oshoも刺激的だったが、インドそのものが刺激的だった。シュリ・オーロビンドのオーロビルやタジマハールにも滞在した。ブッダガタなどの仏蹟寺院やベナレスにも滞在した。なにもかにも刺激的だった。楽しいことも、危険なことも、哀しいことも、さびしいこともあった。今から考えれば、すべてが美しい。
でもやっぱり、最後はプネに戻った。

 あの頃、Oshoはひたすら次のコミューンに向けて力を蓄えていた。そして講話を延々と休むことなく続けていた。あの講話群は、一緒に座って聞いているサニヤシンに向けて語らえたものではあったが、かならずしもその場に限られたものではなかっただろう。今、こうして、翻訳のモンジュや多くの人々によって、この講話を読むことができる。Oshoは、30年後の私に講話を残してくれていた、ということになる。

 私が移転するための新しい場所を見つけようとしていることを、あなたがたは何度も何度も聞いている。だが、デリーはそれにひどく反対している----。彼らはもっと大きな場所、もっと大きなスペースを持たせたくない。彼らは新たな障害をつくりつづけている。そして、彼らは障害をつくりだすことができる。法律に基づくあれやこれやを----。少なくとも彼らは遅らせ、先に延ばすことができる。彼らの努力のすべては、どうやって私のことを世界に知らせないでおくかにある。p159

 当時、Oshoは相当に火種だった。一触即発のマグマを蓄えていた。30年経過して、ようやく聞き取れることも、当時の私の耳には聞こえないことがたくさんあった。

 知性はあなたの魂の資質であり、記憶は頭脳のメカニズムにすぎない。記憶は生態コンピューターだ----。コンピューターは、あなたの生体コンピューターが今日までやってきたことを、はるかにうまくやることができる。遅かれ早かれ、人々は読書したり、大学に行ったりするよりも、小さなコンピュータをポケットに入れて持ち歩くようになるだろう。実際、大学は今ではすっかり時代遅れになっている。学校や大学に未来はない。コンピューターがそれらを根こそぎにするだろう。

 歴史を知ることに何の意味がある? あなたは小さなコンピューターをポケットに入れて、必要なときはいつでも調べることができる。ちょっとコンピューターに訊くだけでいい。

 あなたはナポレオン皇帝の生年月日や、彼がどんな女性に恋をしたかを調べることができる----。あなたはなんでも調べることができる。コンピューターは、ごく小さな箱のなかに何百万もの情報を運ぶことができる。あなたが持ち歩いているいっさいの情報を、コンピューターはもっと上手に運ぶことができる。その必要がどこにある? これは時代錯誤もはなはだしい----。25年にわたるカレッジ、学校、大学での学習。そこでは何がほんとうに為されているのだろう? あなたは知識を詰め込まれている。あなたの生体コンピューターが教え込まれている。

 いずれは既成の教え込まれた生体コンピューターを買うことができるようになり、それが答えてくれる! その日は人類史上の偉大な革命の日になる。なぜならその日から、学ぶことを知識の違いが何であるかを知ることが簡単になるからだ。コンピューターを持ち歩く人は知識の人であり、自分自身の生の”体験”を持っている人は賢者だ。

 いいかね、コンピューターはあなたに情報を与えることはできるが、体験を与えることはできない。コンピューターに、「愛とは何か?」と尋ねることはできる。そしてコンピューターは、愛について語られたことすべてを伝えることができる。が、それであなたが会いを体験するわけではない。体験は自分で味わう以外にない。あなたは恋に落ちて、それを知らなければならない----。コンピューターがそれをあなたに与えることはできない。

 コンピューターは、神に関するあらゆる情報を与えることができる。が、神について知ることは神を知ることではない。神を知ることはまったく違う。それは遭遇だ。それは個人的で、親密で、直接だ。

 あなたはそれを見ることができる。物知りは、たいていいつでも愚かな振る舞いをする。彼はそうせずにはいられない。それは彼の知識が借り物だからだ。彼は知性的に振舞うことができない。神学者(パンディット)はこの世でいちばん愚かな人たちだ。 215p

 スティーブ・ジョブズが、ガレージで製造したワンボードマイコンにAppleという名前をつけたのが1976年。だがまだまだその存在は知られておらず、ましてや、未来においてそのPCがポケットにはいるなんて時代を、一般人にはイメージできなかった。

 だが、21世紀に住んでいる私たちは、すでにパーソナル・コンピュータが生活のなかの当たり前のアイテムになっていることを知っており、なおかつ、ケータイという形で、すっかり私たちのポケットの中に納まっていることも知っている。パソコンやケータイをとりまく状況は必ずしもおだやかな面ばかりではない。マイナス面、デメリット面もいわれている。

 パソコン、ケータイについては知っているが、本当に知ることについては、まだまだ知られていない。禅や瞑想について知ることが必要だ。そして知るだけではなくて、体験が必要だ。

 見守りなさい。いつであれ群衆が何かを行っているときに、あなたは自分の力で考えられるだろうか? あなたがたの宗教は群衆だ。あなたがたの国家は群衆だ。インドが中国と戦争したら、インド人は全員インド政府につく。正しかろうが、間違っていようがだ----。正しかろうが間違っていようが、それは母国だ。そして中国人は、正しかろうが間違っていようが、全員中国政府につく。p226

 今日、この時間の現在、北京オリンピックの聖火リレーは、長野市内を走行中だ。群衆の中を、警備隊に守られて聖火が運ばれている。やたらと中国国旗だけが目立つ街頭だが、いくつかの直接行動にでる抗議派もいるようだ。







Last updated  2008.04.29 12:45:54
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2008.04.25
カテゴリ:OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2

<2>よりつづく

 

「一休道歌 上」 <3>
Osho  


 私のコミューンは僧院にはならない。そう、それは市場になるが、そこには違いがある。それは僧院にも、ありふれた市場にもならない。それはその両方を超え、その両方を含んだものになる。それはそのようなものでなくてはならない。なぜなら人間は肉体と魂の両方だからだ。肉体は市場を必要とする。魂は僧院を必要とする。

 今に至るまで、僧院は市場に対立するものとして存在してきた----。肉体に背を向けた魂。そして市場は、僧院に対立するものとして存在してきた----。魂に背を向けた肉体。私はあなたがたを分割したくない。私はここで、分割され、分裂した人格ではない<個>たちを創りだしたい。私はすべてを受け入れる、世界は素晴らしい。僧院は市場にならねばならない。市場は僧院にならねばならない。

 それは世間から隔離されたものになる---が、それは私が世間に反対するからではなく、現時点においては、世間が”新しい波”の誕生を許さないからだ。世間はそれを押しつぶしてしまう。”新しい波”は保護されねばならない。コミューンはひとつの苗床になる。ひとたび私のサニヤシンたちが充分強くなったら、そのときには用はない、問題はない。彼らは世間のなかへ動いてゆける。彼らは世間に入り、世間のなかに在ることができる。が、それは彼らがたくましい樹になって初めて可能だ。もし彼らが、芽を出したばかりのぼく柔らかい小さな苗であったら、彼らは世間に押しつぶされてしまう。

 コミューンはひとつの苗床になる。そしてコミューンは市場にもなる。というのも、あなたが必要とする物はすべて満たさなければならないからだ。私はあなたの必要品に反対はしていない。私は何にも反対してはいない。私は生に否定的ではない。私の生に対するアプローチは禁欲主義者たちのそれではない。私のコミューンは二つを兼ね備えた人々---、仏陀と快楽主義者の両方である人々を創りだす。彼らは生を楽しむと同時に、神をも楽しむ。そしてどのような分割も創りださない。瞑想が解き放たれると、市場は寺院になる。そしてあなたは、それがここでも起こりつつあるのを見ることができる。ここで働いている人々、彼らの仕事(ワーク)は彼らの礼拝(ワーシップ)だ。
p599

 当ブログにおける、このエントリーが含まれるカテゴリの名前[ OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 ]  の中のmmpとは、meditation in the marketplaceの略で、まさに、ここでOshoが言っていることを意味している。gnuはリチャード・ストールマンの「フリーソフトウェアと自由な社会」から借りている。これはマーケットプレイスにいかに愛を瞑想を持ち込めるかという可能性をソフトウェアの世界で考えている言葉だ。agartaはチベットに伝わる伝説・地底王国シャンバラの首都といわれるアガルタを意味している。

 当ブログでの概念で言えば、いわゆる市場の論理に近いのはgnuであろう。そして、そして僧院のイメージに一番近いのはagartaだ。そして、それをつなぐものはmmpだ。まずはこの程度の定義で進める。そして、この次のカテゴリ名を更新するにあたって、mmpはgnuとagartaの間にあって、この二つをつなぐ役割をはたすべきなのではないだろうか。つまりagarta/mmp/gnuとなるべきなのでないだろうか。

 mmpの最初のmはmeditationだからagartaに近い。後のmpはmarketplaceだからgnuに近い。だから、まずはこれらをOshoを通じてみてみようという試みを[OSHOagarta/mmp/gnu]と並べ替えてみようと思う。そして、バージョンは現在0.0.2だが、ひとつ桁を上げて0.1βとしようとも思ったが、これだと、それまでの経緯がわからなくなるので、0.3としたいと思う。だから次の新しいカテゴリは[OSHOagarta/mmp/gnu0.3]となる。

 さて、ここでOshoが言う「苗床」となるべきコミューンとは、なにであっただろう。この講話があったのはプネ1の78年4月のことだが、81年以降のアメリカのコミューンは、苗床になり得たのだろうか。あるはその後、最後の禅シリーズを展開したのプネ2のことだろうか。あるいは、Oshoのいうところのコミューンは存在しなかったのか・・・・。

 一休は達磨を評してこう詩歌を結んでいる。

  達磨忌
 毒薬 数 加ふ賊後の弓、
 大千逼寒す仏心宗。
 西来に意無し、我に意有り、
 熊耳山中、落木の風。

  達磨忌
 達磨は、何度も毒薬を盛られたが、手遅れだった、
 世界には、既に禅宗が充ち満ちていたのだから。
 達磨が天竺からやってきたのには何の目的もなかったというが、
  俺には、それが問題だ、
 達磨が葬られた熊耳山では、葉の落ちた木々が秋風に吹いている。 「一休和尚大全(上)」
p273

 Oshoも毒を盛られたが、すでに手遅れだった。
 世界には、既にOshoスピリットが充ち満ちていたのだから。
 毒を盛ったのがロナルド・レーガンだろうが、インナーサークルだろうが、すでに手遅れだ。

 「生まれては死ぬるなりけりおしなべて」
 何の違いもない。「しゃか」---仏陀、「だるま」---ボーディダルマ、「ねこも杓子も」、すべて同じだ! まったく何の違いもない。犬が死のうと、仏陀のような人が死のうと、違いは何もない。
p650

zen7.jpg
<下>巻につづく







Last updated  2008.04.26 10:19:23
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2008.04.24
カテゴリ:OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2

<2>よりつづく

「Om Mani Padme Hum」: The Sound of Silence, The Diamond in the Lotus <3>
Osho


 戯れに、この本、最後の日を読み始めてみた。そしたら、あのドクター村越についてOshoが講話していたのでびっくり。ひさしぶりにあの怪人を思い出した。そうか、あの頃のレクチャーがこの本になっていたのだね。

You can be a scientist
and a meditator.
In fact, the more you go deeper
into meditation,
the more clarity,
the more genuis you will find
flowing in you
which can create
a totally new science. 
p321

  そういえば、ここで話されている「創造のための世界科学アカデミー」のビジョンはどうなったのかな。実質的な動きの展開はともかくとして、この名前での活動については、私はあまり聴いていない。

 ドクター村越については、上手な説明はできないが、Oshoのストーリーの中にあって、シャルノ(石田かつえ氏)や太母さんとならんで、一世を風靡した日本人トリオのひとりと言っていいだろう。シャルノについては「ノーマインド」に詳しいし、太母についても、ビューティフルな話としてみんなの意識の中に記憶されている。しかし、ドクター村越については・・・・・・

 東京の彼の研究所にいったことがある。決して大きくないところではあったが、それなりに面白いところではあった。しかし・・・

 あれはオールド・Sタンの直感で出来上がったエピソードだった、ということで締めくくってしまっていいのだろうか。あるいは、あそこからなにかが始まった、ということもあるのだろうか。

 この本、真ん中の部分をまだ読んでいないのだが、「Om Mani Padme Hum」というタイトルのなかで、チベットから始まり、世界科学アカデミーに到達している。ここで何事がおきているのだろうか。

 FREE TIBETムーブメントの輪が広がる中、明日日本に北京オリンピックの聖火がやってくる。よかれあしかれ、チベット問題に目がむくことは、歴史の歯車を一歩前に進めることになる感じがする。なにかが動き始めている予感・・・・。


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Last updated  2009.02.20 01:24:07
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2008.04.23
カテゴリ:OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2

<2>よりつづく

「ボーディダルマ」 <3>
Osho

 すこしづつ読み始めて、すこしづつ分かってきた。私が以前にこの本を放り投げてしまったのは、もちろん、決してつまらなかったからではない。読み進めることができなくなったのだ。その正確な理由は明確には分からないが、推測するに、考えられるのは、ふたつ。ひとつは、もう十分と、Oshoの言っていることが分かってしまった、こと。達磨だろうが一休だろうが、Oshoは同じことを言っている。そのことが痛烈に分かってしまった、という可能性。そして、もうひとつ考えられるのは、そのあまりの深みに、これ以上進めない、今回はここまでにしよう、と思ったこと。

 若いとき、水泳の上手なガールフレンドがいた。彼女は船大工の娘だった。海で泳ぐ姿はなんともいえず魅力的だった。あるとき、二人で海に泳ぎにいった。彼女はどんどん沖へと泳いでいってしまった。私はといえば、もともと泳ぎが得意ではなかった。本当は彼女をリードするくらいにかっこいいところを見せたかったのだが、できなかった。

 ずっと沖まで泳いでいって、帰ってきた彼女に聞いた。あんなに遠くまで泳いで行って怖くはないのかい。おぼれることを考えたことはないの? すると彼女は言った。「疲れたり溺れることもあるかもしれないわ。だけど、その時は、海の底を歩いてくればいいのよ。そう考えていれば、溺れることはないわ」。 なんとも勇敢な女性だった。タジタジ。

 私はまず、溺れることを考えてしまう。だから浅瀬でもあわててしまって、自分の背が十分立つくらいなところでも、アップアップしてしまう。まぁ、それにしても、自分の臆病さを嘆くより、彼女の泳ぎのほうをほめたい気分ではあった。

 Oshoの深みは、計り知れない。彼は「虚空の舟」でこう脅かす。

 あなたがたは私のもとにやってきた-----

 あなたがたは危険な一歩を踏みだした
 これは冒険だ
 私の近くでは
 あなたがたは永遠に失われることもあり得る
 私に近づいてくるということは死を意味する
 それ以外の意味はあり得ない   
 p6

 私なんぞは、こんな台詞を聞かされたら、怖くてもう足を進めることはできない。逃げ出したくなる。逃げ出したくなるのに、なぜかその誘惑にも駆られてみたいとも思わせる、Oshoとは一体なにもの・・・?

 達磨と一休をまぜこぜに読んでみようという試みは、まんざら間違いでもなかったようだ。

 ここで私が思い出すのはもうひとりの禅師のことだ。彼はボーディダルマとどこか似た質を持った人だったにちがいない。同じ法統の、遠縁に弟子に当たる人だった。彼は寒い冬の晩に、ある寺に一夜の宿を求めた。彼が高名な禅師であることを知っていたその寺の僧は彼の宿泊を認めることにした。だが、真夜中になってその僧は目を覚ました。あたりがやけに明るかったのだ。彼は本堂の様子をうかがいに出かけた。というのも、その僧は本堂のわきの別棟に寝泊りをしていたからだ。本堂のなかをのぞいてみると、そこに泊まっていたあの禅師がなんとこの寺の美しい彫像を、ゴータマ・ブッダの木像を嬉々として燃やしていた。 (以下つづく)  p179

 ここでは名前が出されていないが、この話は確か一休のことだったのではなかっただろうか。この二人は、確かに「どこか似た質を持った」人たちだ。

 当ブログ、すでに予定を大幅に逸脱して、千冊を超える本をめくってきた。その旅に意味があるのか、まったくの徒労なのか、そしてこの旅はいつまで続くか分からない。そのうち突然、休刊、ということもありうるだろう。今様膝栗毛ではあるが、ひとつの成果があったとすれば、この
[ OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 ]というカテゴリに進捗状況にある。某SNSのコミュニティで思いつきで[OSHO/GNU]という単語を書いたところからスタートしたこのコンセプト、いつの間にか、名前が変わってこちらのブログで再スタートとなったのが、いまから半年前。当ブログの宝石箱も、すこしづつ輝きをましてきたようだ。

 気がついてみれば、このカテゴリのエントリーも100を越えている。当ブログでは108を各カテゴリの定数としている。まもなくこのカテゴリも終わりにするとしよう。このカテゴリで、あのような形でスタートはしたものの、けっきょく紆余曲折しながら、Oshoの
読書シリーズと出会い、禅シリーズと出会ったたことはほぼ必然でであった。そして、ここにきて、達磨一休に集約される形で締めくくられるとは、最初想像していなかった結末だ。

 この流れの次はどうなるのだろう。バージョンは[0.0.3]となるのだろうか。いや、なんとなく、ここまでくると、桁を上げてもいいのではないか、と思う。まだこころもとないところもあるので、ベータをつけて、[0.1.β]としておこうか。mmpやgnu、あるいはagartaについても、それぞれに想いがめぐるは、それを記すのは後日としよう。

 今回、本を読むことのほかにビデオという手があったことも思い出した。飛び飛びではあるが、けっこうまとまったOshoの講話ビデオが手元にある。よくよく見てみると、まだ邦訳されていない講話シリーズも多い。日本語の禅シリーズがネタ切れになったら、ビデオをみながら英文講話にも挑戦してみようか。


darma8.jpg
<4>につづく







Last updated  2008.05.02 09:45:09
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<1>よりつづく

「ボーディダルマ」 <2>
Osho

 ふと気がついてみれば、「Take IT Easy」を和尚が講話していた時にそこにいたように、この「ボーディダルマ」の講話の時も、私はそこにいたのだった。偶然といえば偶然だが、気がついてみれば、本当に不思議なものだ。「TAKE IT EASY」と「ボーディダルマ」、どちらを先に読むか、とちょっと考えたが、いま、一緒に読み進み始めているのは、実はそういう縁があったということになる。

 しかしまぁ、よく考えてみると、私はその講話を聞いているはずなのに、聞いていた、という記憶があまりなく、その後、こうして出版された翻訳本も、かならずしも飛びついて読んだ、という記憶がない。いや、むしろ、できれば長いこと遠ざかっていたい気分のほうが強かったのではないだろうか。ましてやこの「ボーディダルマ」は途中まで読んで放り投げてしまった記憶がある。なぜだろう。

 私がインドにいったのは、OshoがZenを講話していたからではない。それを聞きにいったなんてことはなにもない。私がOshoのもとにいったのは、私自身の問題がほとんどで、私の個人的理由ゆえにその場にいたのだった。だから、Oshoが何を話していたか、なんてホントはどうでもよかった。タントラだろうがウパニシャッドだろうが、スーフィーだろうが、ヨガだろうが、あるいはヒンディーレクチャーだろうが、もうそれは二の次、三の次。

 だけど私はそこにいたかった。そんな私は、Oshoの講話を聞いていたのだろうか。英語のヒヤリングもともかくとして、ただただそこにいただけで、ホントにOshoを聞いていたことになるのだろうか。

 Oshoの講話は、どこかの大学やセミナーのように、その話に目的があるわけではない。そうそう、お茶は、単に口実だ。その口実を使って、マスターとともにそこにある。もし、そういう理解が正しいなら、Oshoがナニを話そうが、自分が「聞いた」ものが、そのとき「話された」こと、ということになる。

 私は、Oshoのもとに行って、Oshoの話をまるで聞いていなかったのか。あるいは、こうして本となっている講話は、そこでナニがおきていたのか、本当は伝えきれていない、ということになるのか。私は正直言って、この二冊の本と、その講話が話されたときの、自分が「聞いた」ものを比較すると、微妙にずれている。いや、圧倒的にはずれている。別ものだ。だから、私は私の体験をそのまま、スのまま残している。

 そのスの部分と、本になってしまった部分が、どうもズレている。そのズレはあって当然のものでもあろうが、一致しない、ということでもなさそうだ。どうズレているのか、どっちがどうズレているのか、そのズレはあっていいものか、今後一致するのか、あるいは・・・・。

 まぁ、なにはともあれ、この二冊、読み進めれば、ナニかが分かってくるかも。

darma5.jpg
<3>につづく







Last updated  2008.04.23 21:43:21
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2008.04.22
カテゴリ:OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2

<1>よりつづく

 

「一休道歌 上」 <2>
Osho  


 この講話が行われたのは、78年の4月。実はこの時、私はインドにいた。そしてプーナでこの講話を聴いていた。う~~ん、聴いていた、というよりそこに座っていた、というほうがあっている。もちろんOsho英語のヒアリングが上手にできないせいもあったが、講話を聴くことと、そこに座ることとは、また別次元なことであったように思う。

 本を読むこと、瞑想すること、プネにいくこと、サニヤシンになること、そして、その輪の中に座っていること。それぞれが、全く別の次元のことどものように思える。当時のOshoは、一ヶ月おきに英語とヒンディーで講話を繰り返していた。もちろん英語の講話のほうが圧倒的に参加者が多かったが、ヒンディー講話も、どうしてどうして欧米人にも人気があった。

 みんな、ヒンディーを理解できていたわけではないのはもちろんだが、英語だって、必ずしも、その言葉を一句一句追っかけていたわけではない。むしろ、言葉や講話は、口実でしかない。誰かと誰かが「お茶しようよ」という場合は、もちろん、おいしいお茶を飲むことは楽しいことだろうが、お茶を飲むこと自体が目的ではない。一緒にいること、お茶を媒介にして、同じ時間を共有することが「お茶する」ということの意味だろう。

 和尚の講話を聴くということは、その講話がすばらしければ、もちろんそれはすばらしいことだけど、講話そのものが目的ではない。Oshoといること、つまりは、自分自身と向き合っていること、そこに自然と目的が変容されていく。

 Oshoの講話にあって、その場で聞くということは、たとえそれが一休であったとしても、はたまた達磨や仏陀であったとしても、その場でのご馳走はあまたのブッタたちではない。

 このOshoの「一休道歌」を半分読んでみて、実にすっきりするものを感じる。ここにあるのは、栗田勇の「一休」「一休和尚大全」で展開されている世界とはまったく違う。Oshoにとって一休は、一杯のお茶だ。そのお茶は確かに最高級のお茶だ。極上だ。しかし、ここで語られているのは一休ではない。一休や一休を語るという行為を超えている。

 ここで、ひとこと素直にいっておけば、日本語の翻訳本のスタイルは、すこし一休のスタイルに力を借りすぎてはいないだろうか。原題は「TAKE IT EASY」だ。話題は一休道歌に借りている。しかし、そこで語られているのは、一休という人間の人生やパーソナリティを大きく逸脱している。いや、それを大きく超越している。

 本来の面目坊が立ち姿
     ひとめ見しより恋とこそなれ

 このような、いわゆる伝統的な一休を愛してきた人々にとっては、Oshoに関心をもつきっかけになるかもしれないし、新しい「解釈」について興味を覚えるかもしれない。しかし、それは、伝統にかたよりすぎる紹介のされかたではないだろうか。Oshoが使っているのは英語の翻訳テキストだ。上の一休の詩歌は、英語になるとこうなる。

 The figure of Real Man
       Standing there
  Just a glimpse of him,
       And We are in love.  
     p204

 どちらが優れているのか、私には分からない。しかし、インド→中国→日本と渡ってきた禅の文化は、あえて「文化」化してしまっているだけに、どうも私などは、その周辺に気を取られすぎるようだ。一休が語ろうとしていることにたどりつくまで、パッケージを空け、その飲用の仕方を工夫し、その効能書きを読み、ほかの人の体験談をかき集め、お湯の立て方を・・・、などと考えているうちに、ついには一休の世界にたどり着かない可能性もある。

 まだうまく言えないが、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」に対する私の違和感はいまだに癒えていない。つまりは、玉川本では「お茶する」時のお茶に特化してピックアップされているが、「お茶する」時のほかの要素、誰が誰とお茶するのか、お茶というメソッドで何が起こっているのか、ということが見逃されているのではないか、ということだ。

 このOshoの本は、「一休道歌」として読まれるべきではないのではないか。むしろもともとの原題「TAKE IT EASY」と改題されるべきだろう。そしてまた、もし一休が言わんとしたことを、本当に理解しようとするなら、今後は、その室町時代の時代背景や文化的系譜などに囚われず、「TAKE IT EASY」のセンスで読み直されるべきだろう。

upstair.jpg
<3>につづく







Last updated  2008.04.25 09:21:03
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2008.04.20
カテゴリ:OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2

 

 

「ボーディダルマ」
Osho スワミ・アナンド ソパン翻訳 1994/05 めるくまーる 単行本: 700ページ
Vol.2 No.0059★★★★★



 おお達磨か。この本、読んだような気もするし、途中で放りなげてしまった記憶もある。なにはともあれ達磨だ。




darma1.jpg

<2>につづく







Last updated  2008.04.23 12:50:04
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