閲覧総数 60
2009.03.31
全108件 (108件中 1-10件目) OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2![]() 「究極の旅」 禅の十牛図を語る <1> 当初考えていた「OSHO/gnu0.0.2のための21冊」は十分読み込めたということにはならないが、こういう形で当ブログに登場してきたということでは、ひとつの足がかりを作ったことになる。最初は手当たりしだい目を通していたのだが、次第にOshoの「私の愛した本」がガイド役になってくれた。そして後半はOshoの禅シリーズが次第に重みを増してきたが、この事態は当初あまり予想していなかった。 この「0.0.2」で出来たことは、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」にでてきた参考文献リストにほぼ目を通すことができたことくらいだろうか。といっても、まだ読みきれていない本も数冊あるし、あるいは、「永遠の大河」や「ダンマパダ」はまったくの手つかずだ。まぁ、この二冊は必ずしも「禅シリーズ」とは言いがたいが。 尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛、忘牛存人、人牛倶忘、返本還源、入てん垂手・・・と円を結ぶ十牛図。当ブログでは、0.0.1βが尋牛、0.0.2が見跡となっているだろうか。とするなら次の0.3は見牛、となるはずなのだが・・・。
Last updated
2008.04.30 09:05:32
コメント(0) | コメントを書く ![]() 「一休道歌 下」 <2> Oshoは講話の中で、自分のサニヤシンは5万人と言っているが、そのほとんどはインド人であっただろうし、急増中だったのは、アメリカやドイツなどを中心としたヨーロッパ人が中心だった。日本からやってくる若者たちも多かったが、せいぜい二桁にとどまっていただろう。当時のメモを見てみると、直接名前と顔が繋がる日本人サニヤシンは30人程度である。しかも、西欧の平均年齢30歳前後にくらべ、日本人のそれはさらに5歳ほど若かった。 77年、私は、Oshoアシュラムへのダイレクトなツアーでインドに行ったので、一ヶ月後にはサニヤシンになったし、体験といえばそれ以上ないような体験もした。しかし最初、私が行きたかったのは必ずしもOshoの元ではなかった。「インド」に行きたかったのだ。で、滞在ビザ延長の問題で、インドを離れ、また再入国したあとに、戻ったプネは、これこそが私が呼ばれていたものだ、と納得することができた。
Last updated
2008.04.29 10:31:21
コメント(0) | コメントを書く
2008.04.27
![]() OSHO ZEN TAROT <2> 73. Compromise
Last updated
2011.12.09 09:32:23
コメント(0) | コメントを書く
2008.04.26
![]() 「一休道歌 下」 あの頃、Oshoはひたすら次のコミューンに向けて力を蓄えていた。そして講話を延々と休むことなく続けていた。あの講話群は、一緒に座って聞いているサニヤシンに向けて語らえたものではあったが、かならずしもその場に限られたものではなかっただろう。今、こうして、翻訳のモンジュや多くの人々によって、この講話を読むことができる。Oshoは、30年後の私に講話を残してくれていた、ということになる。 私が移転するための新しい場所を見つけようとしていることを、あなたがたは何度も何度も聞いている。だが、デリーはそれにひどく反対している----。彼らはもっと大きな場所、もっと大きなスペースを持たせたくない。彼らは新たな障害をつくりつづけている。そして、彼らは障害をつくりだすことができる。法律に基づくあれやこれやを----。少なくとも彼らは遅らせ、先に延ばすことができる。彼らの努力のすべては、どうやって私のことを世界に知らせないでおくかにある。p159 歴史を知ることに何の意味がある? あなたは小さなコンピューターをポケットに入れて、必要なときはいつでも調べることができる。ちょっとコンピューターに訊くだけでいい。 いずれは既成の教え込まれた生体コンピューターを買うことができるようになり、それが答えてくれる! その日は人類史上の偉大な革命の日になる。なぜならその日から、学ぶことを知識の違いが何であるかを知ることが簡単になるからだ。コンピューターを持ち歩く人は知識の人であり、自分自身の生の”体験”を持っている人は賢者だ。 いいかね、コンピューターはあなたに情報を与えることはできるが、体験を与えることはできない。コンピューターに、「愛とは何か?」と尋ねることはできる。そしてコンピューターは、愛について語られたことすべてを伝えることができる。が、それであなたが会いを体験するわけではない。体験は自分で味わう以外にない。あなたは恋に落ちて、それを知らなければならない----。コンピューターがそれをあなたに与えることはできない。 コンピューターは、神に関するあらゆる情報を与えることができる。が、神について知ることは神を知ることではない。神を知ることはまったく違う。それは遭遇だ。それは個人的で、親密で、直接だ。 あなたはそれを見ることができる。物知りは、たいていいつでも愚かな振る舞いをする。彼はそうせずにはいられない。それは彼の知識が借り物だからだ。彼は知性的に振舞うことができない。神学者(パンディット)はこの世でいちばん愚かな人たちだ。 215p だが、21世紀に住んでいる私たちは、すでにパーソナル・コンピュータが生活のなかの当たり前のアイテムになっていることを知っており、なおかつ、ケータイという形で、すっかり私たちのポケットの中に納まっていることも知っている。パソコンやケータイをとりまく状況は必ずしもおだやかな面ばかりではない。マイナス面、デメリット面もいわれている。 今日、この時間の現在、北京オリンピックの聖火リレーは、長野市内を走行中だ。群衆の中を、警備隊に守られて聖火が運ばれている。やたらと中国国旗だけが目立つ街頭だが、いくつかの直接行動にでる抗議派もいるようだ。
Last updated
2008.04.29 12:45:54
コメント(0) | コメントを書く
2008.04.25
![]()
「一休道歌 上」 <3> それは世間から隔離されたものになる---が、それは私が世間に反対するからではなく、現時点においては、世間が”新しい波”の誕生を許さないからだ。世間はそれを押しつぶしてしまう。”新しい波”は保護されねばならない。コミューンはひとつの苗床になる。ひとたび私のサニヤシンたちが充分強くなったら、そのときには用はない、問題はない。彼らは世間のなかへ動いてゆける。彼らは世間に入り、世間のなかに在ることができる。が、それは彼らがたくましい樹になって初めて可能だ。もし彼らが、芽を出したばかりのぼく柔らかい小さな苗であったら、彼らは世間に押しつぶされてしまう。 一休は達磨を評してこう詩歌を結んでいる。
Last updated
2008.04.26 10:19:23
コメント(0) | コメントを書く
2008.04.24
![]() <2>よりつづく You can be a scientist 東京の彼の研究所にいったことがある。決して大きくないところではあったが、それなりに面白いところではあった。しかし・・・ あれはオールド・Sタンの直感で出来上がったエピソードだった、ということで締めくくってしまっていいのだろうか。あるいは、あそこからなにかが始まった、ということもあるのだろうか。 FREE TIBETムーブメントの輪が広がる中、明日日本に北京オリンピックの聖火がやってくる。よかれあしかれ、チベット問題に目がむくことは、歴史の歯車を一歩前に進めることになる感じがする。なにかが動き始めている予感・・・・。
Last updated
2009.02.20 01:24:07
コメント(0) | コメントを書く
2008.04.23
![]() 「ボーディダルマ」 <3> 若いとき、水泳の上手なガールフレンドがいた。彼女は船大工の娘だった。海で泳ぐ姿はなんともいえず魅力的だった。あるとき、二人で海に泳ぎにいった。彼女はどんどん沖へと泳いでいってしまった。私はといえば、もともと泳ぎが得意ではなかった。本当は彼女をリードするくらいにかっこいいところを見せたかったのだが、できなかった。 ずっと沖まで泳いでいって、帰ってきた彼女に聞いた。あんなに遠くまで泳いで行って怖くはないのかい。おぼれることを考えたことはないの? すると彼女は言った。「疲れたり溺れることもあるかもしれないわ。だけど、その時は、海の底を歩いてくればいいのよ。そう考えていれば、溺れることはないわ」。 なんとも勇敢な女性だった。タジタジ。 私はまず、溺れることを考えてしまう。だから浅瀬でもあわててしまって、自分の背が十分立つくらいなところでも、アップアップしてしまう。まぁ、それにしても、自分の臆病さを嘆くより、彼女の泳ぎのほうをほめたい気分ではあった。 Oshoの深みは、計り知れない。彼は「虚空の舟」でこう脅かす。 あなたがたは私のもとにやってきた----- あなたがたは危険な一歩を踏みだした この流れの次はどうなるのだろう。バージョンは[0.0.3]となるのだろうか。いや、なんとなく、ここまでくると、桁を上げてもいいのではないか、と思う。まだこころもとないところもあるので、ベータをつけて、[0.1.β]としておこうか。mmpやgnu、あるいはagartaについても、それぞれに想いがめぐるは、それを記すのは後日としよう。 今回、本を読むことのほかにビデオという手があったことも思い出した。飛び飛びではあるが、けっこうまとまったOshoの講話ビデオが手元にある。よくよく見てみると、まだ邦訳されていない講話シリーズも多い。日本語の禅シリーズがネタ切れになったら、ビデオをみながら英文講話にも挑戦してみようか。
Last updated
2008.05.02 09:45:09
コメント(0) | コメントを書く ![]() 「ボーディダルマ」 <2> だけど私はそこにいたかった。そんな私は、Oshoの講話を聞いていたのだろうか。英語のヒヤリングもともかくとして、ただただそこにいただけで、ホントにOshoを聞いていたことになるのだろうか。 Oshoの講話は、どこかの大学やセミナーのように、その話に目的があるわけではない。そうそう、お茶は、単に口実だ。その口実を使って、マスターとともにそこにある。もし、そういう理解が正しいなら、Oshoがナニを話そうが、自分が「聞いた」ものが、そのとき「話された」こと、ということになる。 私は、Oshoのもとに行って、Oshoの話をまるで聞いていなかったのか。あるいは、こうして本となっている講話は、そこでナニがおきていたのか、本当は伝えきれていない、ということになるのか。私は正直言って、この二冊の本と、その講話が話されたときの、自分が「聞いた」ものを比較すると、微妙にずれている。いや、圧倒的にはずれている。別ものだ。だから、私は私の体験をそのまま、スのまま残している。 そのスの部分と、本になってしまった部分が、どうもズレている。そのズレはあって当然のものでもあろうが、一致しない、ということでもなさそうだ。どうズレているのか、どっちがどうズレているのか、そのズレはあっていいものか、今後一致するのか、あるいは・・・・。 まぁ、なにはともあれ、この二冊、読み進めれば、ナニかが分かってくるかも。
Last updated
2008.04.23 21:43:21
コメント(0) | コメントを書く
2008.04.22
![]()
「一休道歌 上」 <2> この講話が行われたのは、78年の4月。実はこの時、私はインドにいた。そしてプーナでこの講話を聴いていた。う~~ん、聴いていた、というよりそこに座っていた、というほうがあっている。もちろんOsho英語のヒアリングが上手にできないせいもあったが、講話を聴くことと、そこに座ることとは、また別次元なことであったように思う。 本を読むこと、瞑想すること、プネにいくこと、サニヤシンになること、そして、その輪の中に座っていること。それぞれが、全く別の次元のことどものように思える。当時のOshoは、一ヶ月おきに英語とヒンディーで講話を繰り返していた。もちろん英語の講話のほうが圧倒的に参加者が多かったが、ヒンディー講話も、どうしてどうして欧米人にも人気があった。 みんな、ヒンディーを理解できていたわけではないのはもちろんだが、英語だって、必ずしも、その言葉を一句一句追っかけていたわけではない。むしろ、言葉や講話は、口実でしかない。誰かと誰かが「お茶しようよ」という場合は、もちろん、おいしいお茶を飲むことは楽しいことだろうが、お茶を飲むこと自体が目的ではない。一緒にいること、お茶を媒介にして、同じ時間を共有することが「お茶する」ということの意味だろう。 和尚の講話を聴くということは、その講話がすばらしければ、もちろんそれはすばらしいことだけど、講話そのものが目的ではない。Oshoといること、つまりは、自分自身と向き合っていること、そこに自然と目的が変容されていく。 Oshoの講話にあって、その場で聞くということは、たとえそれが一休であったとしても、はたまた達磨や仏陀であったとしても、その場でのご馳走はあまたのブッタたちではない。 ここで、ひとこと素直にいっておけば、日本語の翻訳本のスタイルは、すこし一休のスタイルに力を借りすぎてはいないだろうか。原題は「TAKE IT EASY」だ。話題は一休道歌に借りている。しかし、そこで語られているのは、一休という人間の人生やパーソナリティを大きく逸脱している。いや、それを大きく超越している。 本来の面目坊が立ち姿 The figure of Real Man
Last updated
2008.04.25 09:21:03
コメント(0) | コメントを書く
2008.04.20
![]()
「ボーディダルマ」
<2>につづく
Last updated
2008.04.23 12:50:04
コメント(0) | コメントを書く このブログでよく読まれている記事
全108件 (108件中 1-10件目) 総合記事ランキング
|
|