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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2008.03.30
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カテゴリ:OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2

 

 


「空っぽの鏡・馬祖」<1>



Osho /スワミ・アナンド・ソパン/スワミ・アナンド・モンジュ 1992/11 壮神社 単行本 367p
Vol.2 No.0028
★★★★☆

Osho最後のZENシリーズ目次 
​​


 馬祖(マツ)はまた”ばそ”とも呼ばれる。私がこの”ばそ”という名前を使わないのは、この次のシリーズが日本の芭蕉、禅の偉大な神秘詩人についてのものになるからだ。そして、この馬祖(マツ)という名前のほうが、その一般的な呼び名の”ばそ”よりもはるかに意味深い。p16

 この次のシリーズとは、88/09/26から始まった Hyakujo: The Everest of Zen, with Basho's Haikus
のことだ。日本人なら馬祖と芭蕉は間違いようがないが、BasoとBashoでは、混乱が起きるかもわからない。ましてや一週間後にスタートしようとしていたわけだから、当然か。

 英語版は一年後89年に発行され、日本語版は、そのさらに3年後の92年に翻訳出版されている。講話からすでに20年経過し、日本語版がでてからでさえ、すでに16年も経過しているのだった。でも、この本を私が読むのは初めてのこと。どうしてそんなことになったのかな、とふと考えた。

 私はもともとそれほど読書に熱中するほうではなかった。必要なものは読んできたが、多読としては決して言えない。Oshoのもとにあっては、もともとあまり読書は薦められてはこなかった。この講話シリーズは、割合はやい時期にビデオがリリースされたり、ニューズレターなどで文字化されてきており、一冊の本になったからと言って、急いで買い求めるという雰囲気もなかった。

 ましてや90年にOshoが肉体を離れると、視点はマーケットプレイスへと向き始め、ますます本は読まなくなった。インターネット社会が加速し、書籍離れがさらに進んだ。そんな中で、私は、書籍といえばインターネット以外のものはほとんど読まなくなってしまった。ほとんどがネットで間に合う感じがして、そちらに熱中していた、ということか。

 そんな隙間のなかで、この「空っぽの鏡」はほとんど気にもとめないですごしてきてしまった。Oshoの最期のZENシリーズには、独特の香りがあり、鳴り物やジベリッシュ、など、他にはないスタイルが取られている。それが、むしろ本の中にとどめられるものではなく、もっと広がりがあるものであることを知っていたので、あえて、書物の中に求めることをしなかった、ともいえるだろうか。

 しかし、ネット社会への対応にも落ち着きが見え、この「失われた」10年、あるいは15年を振り返る時、やたらとまた文字を見たくなった。一巡して、あらためてこの「空っぽの鏡」を読むと、なんとも言えぬ感慨が湧いてくる。むしろ、この最期のZENシリーズをめくると、他のOsho本は読めなくなるのではないか(とはちょと言いすぎだが)とさえ思えるほど、癖になる。

 Oshoの存在感が、文字や翻訳からはみ出してくる。行間、あるいは空間からOshoが笑いかけてくる。決して知に落ちず、決して文字に落ちていない。OshoがOshoとしてくつろいでいる。もちろん、このシリーズの最期として、Oshoは沈黙の中にはいり、肉体を離れていくのだが、その存在がひしひしと伝わってくる。今にして初めて感じられる感触でもある。

 馬祖はまさに、ひとりの覚者が、ほかの者が覚者になったことを見いだしたときの振る舞い方でふるまっている。彼を自分のもとにとどめておくことは浪費でしかな
い。いまや彼は自らの足で進み、自ら絶対的な自由を得るべきであり、偉大な師の蔭にとどまるべきではない。それは庭師の仕事に似ている。彼は大樹の下の小さな植物を移し替える。大樹の下では、小さな植物は育つことができない。それは自分自身の空間が必要だ。自分だけの太陽、自分だけの大空が。庭師は、いったんその植物に潜んでいる力を見抜くと----それが雑草ではなく、ばらであることを---それを陽光が降り注ぐ、新鮮な空気が通う、水が豊富な場所に移し変える。p231

 彼が残した言葉は、恣意的に読むこともできるし、ただただそのエネルギーを感じるだけで、内容を吟味することさえしないほうがいい場合がある。ましてや、語らえているテーマはZENだ。ことばを超えている。

 彼は山から市場まで降りてきた。彼は言った。「市場は私を変えることができないのだから、なぜそれを避けることがあるだろう? 私のほうが市場を変えてやろう。高みに坐っていたのでは、何千もの人びとを変えることはできない。しかも人びとのところまでおもむいて、彼らと同じように普通になることで、意思の疎通(コミュニケーション)はもっと容易になるはずだ」p258

 訳者はあとがきに書いている。

 かつてある時期から、彼がキリスト教について多くの批判をし始めたとき、「いずれは仏教も批判されるのではないか」と私は思ったものだった。が、和尚は仏教について、ほとんど批判めいたことを言っていない。理由はあれこれ考えられるが、彼は東西の民族性の違い、その精神性の違いを考慮しているのでないか、と私は考えている。p366

 Oshoがその35年間の長い長いマスター稼業の中で、ついに仏教を、そしてZenを語り終えたことに、ある種の安堵感を持った人たちは多くいたに違いない。訳者は「和尚がこれほど多くの禅について語ってくれたことは良かった、と私は思っている。」と書いている。同感である。今、私が一番浴びたいと思うのは、ここのところのようだ。

 

flower.jpg



<2>につづく





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Last updated  2021.02.09 21:52:52
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