神の存在-124
神の存否-124 スピノザの当時の世界では、近代西洋思想史に他国と比較しては自由だといえた海洋貿易・商業都市としての形成を整えたネーデルランドの自由都市群も、ネーデルラントのオレンジ公ウィリアムは(オラニエ公ウィレム(ヴィレム)の英語名に基づく、「沈黙公」として知られている、但しこれは反乱直前の時期の旗幟を鮮明にしない態度を揶揄したもので、実際には誰にでも愛想がよく非常におしゃべりであったウィレム1世(Willem I/1533年 - 1584年)、オラニエ公。八十年戦争勃発時の中心人物で、オランダ独立国家(ネーデルラント連邦共和国)の事実上の初代君主を経て、ウィレム2世となり、偉大なる革命(Glorious Revolution)とも呼ばれる英国の名誉革命、事実はオランダ主導によるイギリス侵略という側面を強調する歴史解釈もあり、現在では、名誉革命は内乱と外国の侵略が併存した「革命」であり、イギリス人の誇り及び介入したオランダ政府の政治的思惑などから、外国の介入の要素が意図的に無視されてきたとされている記述もありますが、ジェームズ2世の娘メアリー2世とその夫でオランダ総督ウィリアム3世(ウィレム3世)が血縁的なこともありイングランド国王に即位、其の宗教統制にはオランダも巻き込まれます。其の最中のスピノザの云う「神」存在の思考は当然に危険思想となります。予想するに彼の存在論的神学態度は、自己の属する民族の旧約の偏重を認識した上での尊重と解釈、新約によるユダヤ民族への人身供犠の罪過の偏重を、両者ともに解消する試みであった可能性があります。 定理二七 神からある作用をするように決定された物は自己自身を決定されないようにすることができない。 証明 この定理は(公理三 与えられた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反してなんら一定の原因が与えられなければ結果の生ずることは不可能である。)から明白である。 此のことは当然に当時の西洋神学の「精神の自由」論からの反撃があることをスピノザも承知していたでしょう。哲学・思想ランキング