神の存在-275
神の存否-275 人間精神は真実・真相を見極めるだけの能力を可能性として秘めているのでしょうか。スピノザの云う人間精神は十分な妥当性を持った観念を有するならば、「神」についても永遠・無限性を認識することが可能だとします。対してスピノザと同時代の「エチカ/1677年」の中で精神を身体から裁然と区別して考えていた生命のデカルトによる機械論的解釈をさらに徹底化させたフランスの哲学者・医師。啓蒙期フランスの代表的な唯物論者であるジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー(Julien Offray de La Mettrie,/1709年-1751年)に代表される機械論や唯物論の見地に立てば、感情などの心の現象も生物学・化学的な作用であるため、心と体という分離自体がナンセンスである。なぜなら、「心」は「体」の脳の機能によって発生したものである以上、心は独立した実体などではなく、脳によって作り出されたものであるからとされ、精神作用そのものの観念の妥当性に擬を唱えます。 定理四七 人間精神は神の永遠・無限なる本質の妥当な認識を有する。 証明 人間精神はもろもろの観念を抱く。それによって精神が自分自身(この部第二部の定理二三 精神は身体の変状「刺激状態」の観念を知覚する限りにおいてのみ自分自身を認識する。により)、および自分の身体(この部第二部の定理一九 人間精神は身体が受ける刺激「変状」の観念によってのみ人間身体自身を認識し、またそれの存在することを知る。により)、ならびに外部の物体(この部第二部の定理一六の系一 この帰結として第一に、人間精神は自分自身の身体の本性とともにきわめて多くの物体の本性を知覚するということになる。および定理一七 もし人間身体がある外部の物体の本性を含むような仕方で刺激されるならば、人間精神は、身体がこの外部の物体の存在あるいは現在を排除する刺激を受けるまでは、その物体を現実に存在するものとして、あるいは自己に現在するものとして、観想するであろう。により)を現実に存在するものとして知覚するもろもろの観念を有する(この部第二部の定理二二 人間精神は、身体の変状「刺激状態」のみならずこの変状の観念をも知覚する。により)したがって人間精神は(この部第二部の定理四五 現実に存在するおのおのの物体ないし個物の観念はすべて神の永遠・無限なる本質を必然的に含んでいる。およびこの部第二部の定理四六 おのおのの観念が含んでいる神の永遠・無限なる本質の認識は妥当で完全である。により)神の永遠・無限なる本質の妥当な認識を有する。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。哲学・思想ランキング