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テーマ:鉄道(21875)
カテゴリ:困った時の静岡県ネタ
今日も、静岡県からいらしたお客様と、仕事をしてました。
雑談で、当日記の話が出てしまい、赤面する(?)私。 そんないきさつがあった訳ではないですが、今日は静岡県ネタ。お客様が藤枝市のご出身ということなので、藤枝市について個人的に気になっていることを書きます。 藤枝は、旧市街と東海道本線の駅との間が、3キロほど離れています。これは、藤枝(あるいはその北の岡部も)の人が鉄道を忌避した結果だという話があります。 しかし私は、鉄道忌避伝説と血液型性格診断は信用しない天邪鬼な人間なので、この話もちょっと疑ってかかっています。 ちょっと調べてみたのですが、静岡県内の東海道本線(ただし、現在の熱海経由ではなく、御殿場線経由)が開通した1889年当時、以下の駅が開業していました。 小山(現・駿河小山)、御殿場※1、佐野(現・裾野)、沼津、鈴川(現・吉原)、岩淵(現・富士川)、興津、江尻(現・清水)、静岡、焼津、藤枝、島田、堀ノ内(現・菊川)、掛川、袋井、中泉(現・磐田)、浜松、舞坂(現・舞阪)、鷲津 駅名の傾向を見ると、駅の所在地の地名がほぼダイレクトに駅名になっていることがわかります。鈴川は東海道の吉原宿と、中泉は同じく見付宿とそれぞれ2キロ程度しか離れていないにも関わらず吉原駅、見付駅とはならなかった(ただし、鈴川駅は1956年に吉原駅と改称)し、江尻は清水の中心から巴川を隔てて1キロほど離れた東海道の江尻宿の至近※2、また、舞坂は駅開業(1888年)から3か月足らずの間ですが1キロほど離れた東海道の舞阪(舞坂)宿ではなく所在地名の馬郡(まごおり)を駅名として名乗っていたことがあります。 そう考えると、開業当時は志太郡青島村に所在していた藤枝駅が「青島駅」ではなく「藤枝駅」であったのが、むしろ特殊なように思えてきます。我田引水な見方ですが、藤枝の人は鉄道を忌避していたのではなく、むしろ駅名に藤枝とつけることを望むなど、鉄道に対する願望が他地域より強かったのではないか… と。 P.S. 更に調べてみると、お隣の愛知県では、御油(現・愛知御津)や岡崎で4~5キロ離れた地名を駅名とした事例が見られますね。岡崎は言わずと知れた城下町で額田郡の郡役所所在地、御油も東海道の宿場町で宝飯郡の郡役所所在地だったから、同じく城下町&宿場町で志太郡の郡役所所在地だった藤枝もやはり駅名として選ばれるにふさわしかったという見方ができるかもしれません。 ところが、吉原、見付もまた富士郡、磐田郡の郡役所所在地であったことを考えると、静岡県内に限って言えば、藤枝は特別扱いだったようにも思います。 ※1この駅も、駅名の由来となった御殿場市御殿場からは2キロほど離れています。ただし所在地名が御殿場市新橋(にいはし)なので、東京の新橋(しんばし)駅との混同を避け、この辺りでは最大の集落だった御殿場の名を駅名としてつけたのでしょうか? ※2いろいろ調べてみたのですが、江尻は「清水の中の町・字」ではなく、清水とは別個の独立した町だったようですね。この件については、別の機会に書いてみたいと思います。 ゼンリン土地情報地図 ブルーマップ 藤枝市 発行年月200712 22214040D お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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