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テーマ:食べ物あれこれ(49717)
カテゴリ:食べ物・パン・お菓子・料理など
前回
やっと幻の藤むらの羊羹のお話にこぎつけました。 笑 18才。 上京してマムがはじめて散策した街は、銀座でも渋谷でも 新宿でもありませんでした。 赤門の街、本郷です。 夏目漱石が好きだったマムは、吾輩は猫であるの一文、 「いやー珍客だね。僕のような狎客になると苦沙弥は とかく粗略にしたがっていかん。何でも苦沙弥のうちへは 十年に一遍くらいくるに限る。この菓子はいつもより 上等じゃないか」と藤村の羊羹を無雑作に頬張る。」 に、出てくる藤むらを探しに出かけたしだいです。 この藤むらの羊羹は草枕にも、 「余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。 別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、 しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。 ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、 はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた 青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、 思わず手を出して撫でて見たくなる。」 と、まるで宝石のような描かれ方をしています。 そりゃあ、この一文を読んだら食べたくなっちゃいますよね。 この藤むらですが、 火坂雅志作の羊羹合戦にもでてきてその出自が わかります。 羊羹合戦 火坂雅志 話は豊臣秀吉の時代です。 秀吉がびっくりするような羊羹を作ろうではないかと 徳川家康、前田利家、上杉景勝という天下を動かす そうそうたる御仁が羊羹つくりに血道をあげるわけです。 前田利家は家来の藤村忠左衛門に、秀吉の鼻を へしおるべき究極の羊羹作りを命じました。 本郷東大の敷地は前田家の屋敷跡。 当然、藤村忠左衛門は前田家と行動をともにして 本郷に店を構えた・・・ということです。 さて、上京して訪ね歩いた藤むらは老舗名店に ありがちな敷居の高さを感じさせない小さな こじんまりとした、日本家屋のお店でした。 玄関の脇に観音竹の鉢植えがあったように記憶 しています。 相手をしてくださったのはご主人でした。 若いマムは大感激しながら一棹購入しました。 いくらだったか覚えていませんが、若くて貧乏ですから 高いなと思った記憶があります。 この藤むらですが、今も店舗はあります。 電話をかければ発信音はしますが、とられることもなく、 シャッターはおりたままです。 三越で予約を受けて作っているという記事をずいぶん前に みかけたので、問い合わせると、「今はやっておりません」 とのこと。 豊臣時代から連綿と続いた藤むらは完全に幻となったようです。 聞くところによりますと、藤むらには3人の息子さんがいて とても優秀で、全員が東大卒業、さすが赤門の前で育っただけの ことはあって、全員、朱に染まったってことですね。 マムがお会いしたのはお父様だったのか、おじいちゃま だったのか。 まあ、跡は継がんでしょうね。 そういえば、吉祥寺で有名だったパン屋の「好味屋」さんの 息子さんも東大出の教授で、そりゃあ、パン屋継ぎませんよね。 好味屋さんも、なくなっちゃいましたね。 嗚呼、昭和は遠くになりにけりです。 えっ! 藤むらの羊羹のお味はですって!? そんなもん40年近く前のこと 覚えてやしません。 スミマセヌ 注:文中の2枚の写真は井村屋の120円の水羊羹です。 ふたたび スミマセヌ *吉祥寺名物待つの行列虫 *サトウのメンチカツのこと *吉祥寺名物待つの行列虫 真打ち登場 *幻の藤むらの羊羹 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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