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テーマ:食べ物あれこれ(49891)
カテゴリ:食べ物・パン・お菓子・料理など
前回
やっと幻の藤むらの羊羹のお話にこぎつけました。 笑 ![]() 18才。 上京してマムがはじめて散策した街は、銀座でも渋谷でも 新宿でもありませんでした。 赤門の街、本郷です。 ![]() 夏目漱石が好きだったマムは、吾輩は猫であるの一文、 「いやー珍客だね。僕のような狎客になると苦沙弥は とかく粗略にしたがっていかん。何でも苦沙弥のうちへは 十年に一遍くらいくるに限る。この菓子はいつもより 上等じゃないか」と藤村の羊羹を無雑作に頬張る。」 に、出てくる藤むらを探しに出かけたしだいです。 ![]() この藤むらの羊羹は草枕にも、 「余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。 別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、 しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。 ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、 はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた 青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、 思わず手を出して撫でて見たくなる。」 と、まるで宝石のような描かれ方をしています。 そりゃあ、この一文を読んだら食べたくなっちゃいますよね。 この藤むらですが、 火坂雅志作の羊羹合戦にもでてきてその出自が わかります。 ![]() 羊羹合戦 火坂雅志 話は豊臣秀吉の時代です。 秀吉がびっくりするような羊羹を作ろうではないかと 徳川家康、前田利家、上杉景勝という天下を動かす そうそうたる御仁が羊羹つくりに血道をあげるわけです。 前田利家は家来の藤村忠左衛門に、秀吉の鼻を へしおるべき究極の羊羹作りを命じました。 本郷東大の敷地は前田家の屋敷跡。 当然、藤村忠左衛門は前田家と行動をともにして 本郷に店を構えた・・・ということです。 さて、上京して訪ね歩いた藤むらは老舗名店に ありがちな敷居の高さを感じさせない小さな こじんまりとした、日本家屋のお店でした。 玄関の脇に観音竹の鉢植えがあったように記憶 しています。 相手をしてくださったのはご主人でした。 若いマムは大感激しながら一棹購入しました。 いくらだったか覚えていませんが、若くて貧乏ですから 高いなと思った記憶があります。 ![]() この藤むらですが、今も店舗はあります。 電話をかければ発信音はしますが、とられることもなく、 シャッターはおりたままです。 三越で予約を受けて作っているという記事をずいぶん前に みかけたので、問い合わせると、「今はやっておりません」 とのこと。 豊臣時代から連綿と続いた藤むらは完全に幻となったようです。 聞くところによりますと、藤むらには3人の息子さんがいて とても優秀で、全員が東大卒業、さすが赤門の前で育っただけの ことはあって、全員、朱に染まったってことですね。 マムがお会いしたのはお父様だったのか、おじいちゃま だったのか。 まあ、跡は継がんでしょうね。 そういえば、吉祥寺で有名だったパン屋の「好味屋」さんの 息子さんも東大出の教授で、そりゃあ、パン屋継ぎませんよね。 好味屋さんも、なくなっちゃいましたね。 嗚呼、昭和は遠くになりにけりです。 えっ! 藤むらの羊羹のお味はですって!? そんなもん40年近く前のこと 覚えてやしません。 スミマセヌ ![]() 注:文中の2枚の写真は井村屋の120円の水羊羹です。 ふたたび スミマセヌ ![]() *吉祥寺名物待つの行列虫 *サトウのメンチカツのこと *吉祥寺名物待つの行列虫 真打ち登場 *幻の藤むらの羊羹 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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