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カテゴリ:時事放談
数日前くらいから、ツイッターでは「#あのときSNSがあったらどれくらい荒れたのか総選挙」というハッシュタグをつけた投稿が出てきました。
それらの中身の多くは「テレビ番組の最終回」にちなむものでした。大きく荒れたであろう事案としては、「尻切れとんぼな結末」「悲劇的な結末」などの「視聴者の意に反するのぞまない結末」によるものです。 こうしたものへの不満は、かつては放送局へ郵便または電話で苦情を伝えるか、友だちに不平不満を漏らすか、泣き寝入りして受け入れるしかありませんでした。ですが、ネットが普及して掲示板への書き込みや個人ブログでの発信ができるようになってから、意見に対する共鳴・共感の空気が醸成されてきます。 そして2010年代よりSNSが爆発的に普及して個人発信がより自由になると、それらの不平不満を手軽に言えるようになりました。さらにSNSでは番組を作る側も頁やアカウントを開設し、それらの意見の受け皿となったのです。 このような世の中になり、これまで作る側にに従順でなくてはいけなかった「もの言えない民」が、SNSによって「もの言える民」へと変わってきました。 この変化は「テレビ番組の最終回」というサンプルで話を展開しましたが、総じてネットと接触する機会の多い人々にその傾向が見られます。 この変化は、日本人のモラルを変え、あらゆる社会・道徳の根幹を揺るがしてきています。これらについては、改めて論じることといたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/08/09 09:47:42 PM
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